「もううんざりだよ」女性シンガーの高市首相批判に賛否。メッセージは伝わったが…曲が突きつけた“皮肉な現実”

「もううんざりだよ」女性シンガーの高市首相批判に賛否。メッセージは伝わったが…曲が突きつけた“皮肉な現実”

権力を批判することと、それを目的とした曲を作ること。
 同じようでも、両者の間には大きな違いがある――。

◆シンガーソングライター春ねむりの楽曲に賛否

春ねむり
写真左:春ねむりXより、 写真右:産経新聞社
 シンガーソングライター、春ねむりが高市早苗首相を批判する新曲「もううんざりだよ」を自身のYouTubeチャンネルにアップしました。「ファシスト政治家が任期を全うせずに性急に選挙をして裏金や統一教会との癒着などをうやむやにし、より強権的な政府運営を目論んでいる発言があったので、曲を書きました」と、楽曲制作に至った背景を説明しています。

 重厚感のあるビートと冷ややかな電子音に乗せて、<資本主義に絡め取られる議席 クソジジイしか出演しない喜劇>とか、<だいじょぶ? 壺とか買わされてない? カルト・パーティ マジで踊れない>といった刺激的なラップが展開される曲です。昨年参政党のさや氏を批判した「IGMF」に続き、“右翼”や“保守”の人たちの思想を強烈に否定していく。

 やはり賛否が分かれています。“選挙で民意を問うと言っている高市首相のどこがファシストなのか”などと疑問を投げかける声の一方で、選挙に至った経緯が不透明で高市首相の説明が不十分だから春ねむりの主張にも一理あると理解を示す人たちも。

 意見が対立している様子から、ひとまず春ねむり氏のメッセージは伝わったと言えそうです。

◆「メッセージを伝えるための道具」に格下げされた音楽

 だからこそ、ここに大きな問題があります。それは、音楽がメッセージを伝えるための道具に格下げされているという皮肉な現実です。

 言うまでもなく、春ねむり氏が高市首相を否定すること自体には、何も問題がありません。そのような言葉を誹謗中傷にならない範囲で発することは、当然の自由として認められています。

 それは一人の国民、市民としての春ねむり、という人物における自由の話です。

 では、ミュージシャン、ソングライターとしての春ねむりを考えた場合、「もううんざりだよ」の表現をどう捉えるべきなのでしょうか?

 ここでの表現はすべてが一直線です。言葉の選び方、組み立て方、ニュアンスのあらゆる面で、すぐに高市首相、ならびに自民党を補完する勢力に向けられた批判であることがわかります。

 確かに攻撃的かつ刺激的ですが、言葉そのものの持つ自由を著しく制限した表現であるということも言えます。つまり、意味や文脈を極めて狭めているからこそ、誰が読んでも誤解がなく意味が伝わるような言葉の使われ方にしかなっていない。

 つまり、“市民”春ねむりが訴えたいことが完全に伝わるために、創意工夫を犠牲にしたメッセージなのです。「もううんざりだよ」の歌詞が体現する、高い純度の表現は、こうした皮肉に裏打ちされているのです。

 しかし、それは言葉の意味や領域を広げるという、ソングライター本来の仕事ではありません。にもかかわらず、“楽曲”という形で発表するところに、“市民”と“アーティスト”があいまいにもたれあっている構図が浮かび上がるのです。


配信元: 日刊SPA!

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