
こんにちは、奈良在住の編集者・ふなつあさこです。今回は、1月17日(土)・18日(日)に奈良・平城宮跡歴史公園「天平みつき館」で初開催された「柿の葉寿司フェア 2026」をレポートします。
柿の葉寿司といえば、代表的な奈良グルメのひとつ。個人的にも大好きで、いろいろなブランドを食べ比べたりしています。……え? 柿の葉寿司にブランドがあって味の違いがあるのかって?
実は県内には30以上もの柿の葉寿司メーカーがあり、今回のフェアには9ブース13ブランドが集結。主に鯖をシャリにのせ、柿の葉で包んで重石をきかせたシンプルな押し寿司ながら、想像以上に味わいも違うんです!
さらに平城宮跡歴史公園で必見のショップや、冬の奈良のイチオシイベントも併せてご紹介しますので、ぜひお付き合いください♪
初日は開始1時間で半数以上のお店の柿の葉寿司が完売! 大バズりの「柿の葉寿司フェア 2026」

今回のフェアに参加したのは、「ゐざさ」「かじか」(18日のみ)「柿の葉寿司の里・かわかみ」(代表の「徳岡」ほか「すぎもと」「十起(とき)寿司」「橋戸」「みつは」の5ブランド共同で参加)「たなか」「ひょうたろう」「平宗(ひらそう)」「やま十」「ヤマト」「よいよい」(五十音順)の9店舗。
こんなに多くの柿の葉寿司店が集結するのは、このイベントが初めてのこと!

複数店舗を展開する大手だけでなく、通常であれば奈良県南部の吉野、川上、下市など現地でしか購入できないブランドも参加。
全部のお店を1日で回ることなんて到底不可能! これは貴重なチャンスだ〜〜〜! と早くから予定していたのです。

しかも1つずつ、お試し価格の100円で購入できるとあって、気合を入れればいっぺんに食べ比べられる!と、柿の葉寿司ファンが殺到。主催者の方々の予想を遥かに上回り、初日には1時間ほどで半数以上のお店の柿の葉寿司が完売してしまったそう。

そんななか恐縮ですが、メディア向けに詰め合わせをいただいたので、いっぺんに食べ比べてみました。鯖の塩気と酸味のバランスと酢締め具合、酢飯の味付け、食感が思った以上に違います。
本当に超個人的な感想にすぎませんが、備忘録的にチャートを作ってみましたので、柿の葉寿司を食べ比べてみたい方はご参考まで!

17日には、10名先着で「柿の葉寿司手作り体験」が開催されました。何気なく食べていましたが、巻くとなると皆さん大苦戦……!

その後、6メーカー対抗で「早巻きチャンピオンシップ」も開催されました。一般の方が15分かけても10個巻けるかどうかというところ、プロたちは最速で5分かからずに30個巻ききる早技を披露。

スピード点、ビジュアル点で審査が行われましたが、最速で巻き終えたヤマトの職人さんがビジュアル点でも満点を獲得し、初代チャンピオンに!

こちらは2日目のオープン15分前の様子。会場となった天平みつき館をぐるっと一周してさらにどんどん列が伸びていく……! 数百人は並んではったんちゃうかな?
大盛況を受け、来年以降も開催される可能性大なので、「柿の葉寿司フェア実行委員会」各社の公式サイトなどをチェックしてください。
(五十音順)
ところで柿の葉寿司ってどんな寿司? 「100年フード」にも認定!

「柿の葉寿司フェア 2026」では、柿の葉寿司についての知見を深める講演会も開催されました。
奈良県橿原市(かしはらし)ご出身の奈良女子大学名誉教授・的場輝佳(まとばてるよし)先生の講演会を拝聴。
先生のお母さまは奈良県吉野郡大淀町のご出身。先生が幼い頃には、お母さまの地元周辺ではどのご家庭でも柿の葉寿司を手作りしていたといいます。

「奈良の食文化」(奈良県 豊かな食と農の振興課)「調査報告書(奈良漬・吉野本葛・柿の葉寿司)」より引用
内陸県の奈良になぜ鯖が? と思われる方もいはると思いますが、実は古代から海の幸を都に届ける「鯖街道」とも呼ばれる交易路が形成されていたそう。
鯖街道というと若狭(福井県小浜)と京都を結ぶルートがよく知られていますが、伊勢や熊野灘から吉野地方を結ぶ“紀伊半島の鯖街道”も存在していたといいます。
このルートで運ばれた塩漬けの鯖はそのままでは食べづらいため、薄くスライスし、夏祭りの時期にハレの日の料理として食べられるようになったようです。

折しも、吉野では柿の葉が青々と繁る時期。ラップなどが存在していない時代、身近な樹木の葉は何かを包むのに日常的に使われていたことから、自然と寿司を柿の葉で包むようになった……というのが的場先生の見解。
古来、天然の防腐・防水・防虫・抗菌剤として柿渋が使われていましたが、柿の葉にも同様の効果があり、昔の人の暮らしの知恵には驚かされます。
家庭料理のひとつだった柿の葉寿司をいつから食べていたかをはっきりと示す文献は今のところ見つかっていないそうですが、おそらく江戸時代には食べられていたと考えられ、「僕もずっと探してるんや」と先生。発見が待たれます。
柿の葉寿司について深掘りしたい方は、奈良県の特設サイト「奈良の食文化」でも詳しく紹介されています。

写真提供:奈良のトビラ
平城宮跡朱雀門ひろばの国営施設「平城宮いざない館」で毎月開催されている「奈良のトビラ マンスリーイベント」として、柿の葉寿司について語っていたのは、平宗の平井宗助さん。
江戸時代末期・文久元年(1861)に吉野ですしや川魚、乾物を商う店として創業した平宗。昭和30年代には県外で初めて柿の葉寿司を販売し、これが柿の葉寿司が全国に広まるきっかけになったのだとか。

『五畿内産物図会』文化10年(1813)11月刊、大原東野/国立公文書館デジタルアーカイブ
平井さんによると「寿司文化は弥生時代にさかのぼりますが、吉野では川魚の鮎を使った寿司が作られていて、これが奈良の寿司のルーツなのではないかと考えています」。
吉野の鮎寿司は、江戸時代初期に京都の仙洞御所へ献上されていたそうで、平宗は創業以前からその役に当たる吉野七郷の家のひとつだったといいます。

『一守九字成大漁』「義経千本桜 三段目ノ切 釣瓶鮨屋」(東京都立中央図書館)
文楽や歌舞伎の人気戯作「義経千本桜」の「すし屋」の段の舞台も吉野の鮨屋。義経千本桜は江戸時代中期に初演されているので、この頃には吉野といえば寿司というイメージが定着していたのでしょう。とはいえ、中身は鮎寿司だと思われますが……。

写真提供:奈良のトビラ
平井さんも、柿の葉寿司の発祥についてははっきりしたことはわからないそうですが、昭和初期の文豪・谷崎潤一郎は随筆『陰翳禮讚(いんえいらいさん)』のなかで、「吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨」と紹介し「なるほどうまい」と絶賛していることを紹介してはりました。ちなみに、読み返してみたところ、谷崎は「鮭のアラマキ」で作ったようです。
知れば知るほど奥が深い柿の葉寿司、昨年には文化庁「100年フード」にも選定されています。

