歯抜き職人と戦争が生んだ──外科・歯科が「学問」になるまで

歯抜き職人と戦争が生んだ──外科・歯科が「学問」になるまで

かつて外科手術といえば、小さな傷を縫うのがせいぜいだった。そこに戦争がもたらした大量の負傷者と、王様の「命」を守るという政治的要請が重なったとき、近代外科と近代歯科は一気に形を成していく。軍医アンブロワーズ・パレ、歯科医学の父ピエール・フォシャール、そしてジョン・ハンター、ジェンナー……。歯抜き職人や仏像師の入れ歯づくりまで巻き込んで、「口の中」はなぜ王侯の主戦場だったのか。歯学博士・吉野敏明著の『医療奴隷』(扶桑社刊)より、医療の源流をたどる。

※抜粋書籍/『医療奴隷』 

歯学博士・吉野敏明氏

◆●近代外科と歯科の誕生

戦争が激化する前の時代における外科的な治療は、小さな傷を縫う程度のものに限られていました。

しかし、戦争の影響でこれまでの施術では間に合わなくなったとき、アンブロワーズ・パレという人物が登場します。

彼は軍医出身で、近代外科の発展に大きく貢献したことはもちろん、歯科医師がいない時代に歯の再植術や口腔清掃を始めたことでも知られています。

そんなパレの登場から加速度的に近代外科が発展していき、次の時代にはピエール・フォシャールという人物が現れます。「近代歯科医学の父」と言われているフォシャールはもともと、海軍の見習いとして船上で勤務していました。

そこで壊血病、いまで言えばビタミンC欠乏症ですが、口内炎がたくさんできるという口腔疾患の治療を行っていました。そして、自らを「サージャン・デンティスト」、つまり「歯科外科医」という言葉を作って「私は歯科外科医です」と名乗り、初の歯科医学書を出版したのです。

この歴史的な医学書では、口腔衛生の必要性や、口腔と全身疾患の関わりについて述べ、歯周病についても記述しています。彼は歯科医師の仕事を、単なる歯抜き職人から尊厳ある専門職へと高めたのです。

◆●歯抜き職人から学問へ

かつて歯科医師にあたる職業は「歯抜き職人」でした。これは日本でも同様です。

 お祭りなどに行くと歯抜き職人がいて、「誰か歯が痛い人はおらんかね」と声をかけて抜いてくれたそうです。

 また、同じように「入れ歯師」もいて、日本ではほとんどが仏像職人だったといいます。黄つ楊げの木を彫刻刀で削って仏像を作るという技術を用いて、目で口の中を見たうえで、ぴったりな入れ歯を作っていたのです。

 この歯抜き職人や入れ歯師の知識が、フォシャールの登場によってひとつの学問として体系づけられました。

 次にイギリスのジョン・ハンターという人に注目してみましょう。

 彼は軍人で、王様の外科医でした。動物実験と遺体の病理解剖を導入し、経験中心だった外科学に科学的な根拠を与えたことで知られている人物です。

 私も同業者向けのセミナーでは豚の顎を使うことがあります。顎を10個ほどもらってきて、そこで切開や縫合の練習を行います。このように動物で練習することによって、人間の手術をしっかりとできるようになるのです。

 また彼は、歯髄(歯の神経)を抜く治療法を推奨し広めていきました。これは歯を抜くのではなく、神経だけを抜くという画期的な方法です。
 
 さらに、歯周病が歯肉の縁から根の先に向かって進行することを発見したり、淋病の研究のために自らの身体に膿を接種し、それによって淋病と梅毒の両方にかかってしまったりなど、伝説のような逸話がたくさん残されている人物でした。

 そんな彼の門下生であったジェンナーは、のちに牛痘による種痘法を開発し、免疫学を始めたという話もあります。


配信元: 日刊SPA!

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