鳴り止まない「心と体の誤警報」
その発作から1週間後、水野さんは職場に戻りました。最初のうちは、少し息苦しさを感じることがあっても、深呼吸をしてやり過ごせていたそうです。
3日後、バスに乗ろうとした朝、胸の奥にわずかな違和感を覚えました。心臓が跳ねたと思った瞬間、体が固まり、息を吸うことが怖くなったといいます。結局、その日は途中でバスを降り、そのまま学校を休むことにしました。
その日を境に、通勤のたびに発作への不安がよみがえります。「またあの感じが来るのではないか」と思うだけで、手足が冷たくなっていく。教室では表情を崩さずに生徒の前に立ちながらも、頭の片隅では「もし授業中に倒れたらどうしよう」という考えが離れなくなったそうです。
次第に、放課後の打ち合わせや会議に出るのも難しくなりました。「他の先生方に対して申し訳ない」と思いましたが、自分ではどうすることもできません。多くの先生や保護者が集まる職員室に長くいられない。ざわめきや電話の音が続くと、心臓の鼓動が大きく、速くなるからです。
水野:子どもたちの前では、できるだけ笑顔を保とうとしていました。それが教師の務めだと思ったんです。けど、子どもたちのノートに赤ペンで丸をつける手が震えることがあって。自分では大丈夫、まだいけると思っていたんですが、ある朝、バスに乗ろうとした瞬間、呼吸が浅くなり、足が動かなくなりました。ああ、なんでわたしは……。そう思うと……涙が出て、苦しくて、しゃがみ込むしかなくて……。
その日から、水野さんは学校に行けなくなりました。学校には「体調不良」のまま休職願を出して、次第に外へ出る機会そのものが減っていったそうです。水野さんに起きた「多くの先生や保護者が集まる職員室に長くいられない」状態もパニック発作から生まれたものです。
日々の不安や気疲れは、心の中に“積み木”のように少しずつ積み上がっていきます。不安の積み木が高くなると、些細なきっかけでも一気に不安があふれ出し、体の反応が過剰に立ち上がってしまうことがあります。やがて、人が多い場所や逃げ場の少ない空間、電車やバス、エレベーター、会計待ちのレジ、イベントの人混み、自宅で一人になる時間などを避けるようになり、生活の範囲が目に見えて狭くなっていきます。これを「広場恐怖」といい、発作そのもの以上に人を苦しめます。
パニック発作から始まって、予期不安や広場恐怖を経て、普通の生活ができなくなる状態を「パニック症(旧称:パニック障害)」といいます。一度、強烈な発作を経験すると、その記憶は心と脳の両方に深く刻まれます。「もう二度とあんな思いはしたくない」という感覚は、本来とても自然な自己防衛の働きです。
けれど、その思いが強くなりすぎると、脳の中に「似た状況に近づいたらすぐに警報を鳴らせ」という無意識の反射ルートができてしまいます。わたしは、実際には命の危険がないのに、この警報が勝手に鳴ってしまうことを「誤警報」や「誤作動」と呼んでいます。
広岡:まず、最初に大事なことを3つお伝えします。1つは、水野さんに起きた発作で命を落とすことは絶対にありません。もう1つは立っていられないほどの発作でも、必ず短い時間でおさまります。そして最後に正しい治療を行えば、必ず良くなります。
うつむきがちだった水野さんが顔を上げて、初めてわたしの目を見ました。
水野:本当に良くなるんですか?
広岡:ええ、治ります。わたしは何人もの方が回復していく姿を見てきましたから。
自分が感じている「不安レベル」を知る
パニック症の治療は、その根本にあるパニック発作の正体を知ることから始まります。パニック発作は、「危険ではない場面で警報が鳴る」状態です。警報が鳴れば、体は全力で自分自身を守ろうとするので心臓を速く動かし、呼吸は浅くなります。しかし、実際には、外に危険は存在しません。そう感じてしまう背景には、もともとの心配性、几帳面さ、完璧さを求める気質、結果だけで自分を厳しく評価するクセなどが関わることが少なくありません。そこで脳と体に「勘違いだった」と教え直す必要があります。
パニック症の治療は、基本的に二本立てです。1つは、脳と体の興奮を抑える薬物療法で「安心の土台」をつくること。抗うつ薬の一種であるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などで自律神経の過剰な波を穏やかにし、必要に応じて不安を鎮める薬を短期間併用します。もう1つは、恐怖の記憶に新しい意味づけを積み重ねる練習です。薬でつくった安心の土台の上で、「嵐は短い」「必ず過ぎる」を体で覚えます。ネガティブな想像に気づいて距離をとり、成功体験を重ねていくことが回復の道になります。
そして、この二本柱を下から支える共通の土台として、心身の疲労を予防するための「休む技術」があります。うつ病の治療でもパニック症の治療でも、わたしがいちばん大切だと感じているのは、日々の生活の中でこまめに心と体を休ませることです。心がすり減り、脳がくたびれていると、ほんの小さな出来事でも、不安と恐怖の警報が一気に鳴りやすくなってしまうのです。わたしは診察室で、患者さんに「休む技術」と呼んでいる小さな工夫をお伝えしています。
たとえば、会社や家事の合間に一度いすから立ち上がって深呼吸をする、夜遅くまでスマホを見続けないように「画面を閉じる時間」を決める、朝にベランダに出て数分だけ日を浴びる、疲れている日は予定を詰め込みすぎないようにする……といった、ささやかな休み方です。
広岡:大切なのは、「怖さをゼロにしよう」と力むのではなく、「ゼロではなくても暮らしていける」感覚を育てることです。最初のうちは、発作の波が押し寄せることがありますが、サーフィンのように乗り越えていけるようになります。そうすれば、行動範囲は自然と広がっていろんな場所に出ていけますし、社会復帰も近づきます。
わたしは紙に10段階の目盛りを描き、水野さんと一緒に「不安レベルの階段」をつくることにしました。
不安レベル10「診察室や待合室の椅子に座れない」
不安レベル9「診察室の椅子に座れる」
不安レベル8「待合室の椅子に座れる」
不安レベル7「バス停まで行って、ベンチに座って帰ってくる」
不安レベル6「隣のバス停までバスで行き、帰りは徒歩で帰ってくる」
不安レベル5「隣のバス停までをバスで往復する」
不安レベル4「三つ先のバス停までを往復する」
不安レベル3「最寄りの駅までバスで行って往復する」
不安レベル2「バス、電車の乗り継ぎができる」
不安レベル1「発作が来ても平常心で対処でき、生活の障害がない」
広岡:この階段を1段ずつ上がっていくのがこれからの治療目標になります。ただし、上がるペースは、あくまでも水野さん次第。焦らないことが大切です。
水野さんには、できたときは「〇」、できたとしてもつらかったときは「△」、その日はやめた場合は「―」という記録を付けることを併せて伝えました。記録するのは、自分を裁くためではなく、いまの自分の状態を確かめるためです。
初診の最後には、生活の基盤についても話し合いました。お母さんと暮らしているとはいえ、経済的な不安は心の緊張を強くするからです。利用できる制度を確認しながら、水野さんの負担を減らす道筋を一緒に探りました。支えの選択肢が広がるほど、心の余白は増えます。
