今や業界内外で注目を集めるスポーツ栄養士の吉谷佳代さんが、栄養学の実践により学んだ、食事を通して健康的な身体をつくるための驚きの方法とは?
栄養士だった母のレバー料理から大学での学び、ラグビートップリーグでの挫折、そしてプロの現場でつかんだ「対話」の重要性までーー。包み隠さず自身のキャリアを語ってもらった。

◆栄養士だった母のレバー料理
──子どもの頃から、スポーツがお好きだったのですね。吉谷佳代(以下吉谷):ええ、とにかく体を動かすのが好きな子どもでした。水泳もしましたし、バレーボールもしましたけど、一番本気でやっていたのは陸上ですね。中学、高校と800メートル走を専門にしていて、部活中心の毎日でした。
──その頃から、食事や栄養も意識されていたのでしょうか?
吉谷:母の影響が大きかったと思います。母が栄養士の資格を持っていて、家ではいつも「これは体にいい」と色々な料理を作ってくれて。
──印象に残っているメニューはありますか?
吉谷:レバーを使った料理はよく覚えていますね。あれって独特の臭みがあるじゃないですか。母はそれを「牛乳にちょっとつけといたら臭み取れるねん」などと言いながら、当たり前のように処理していたんです。試合前になると鉄分の多い食材が増えたもので、「今日はほうれん草多いな」とか(笑)。当時は深く考えずに食べていましたけど、今振り返ると、かなりスポーツ栄養的なことを自然にやってくれていたんだなと思います。
◆大学時代に出会った「スポーツ栄養学」の恩師

吉谷:高校生の頃にはもう、「栄養の道に行きたい」と進路指導でも話していました。結果的には徳島大学医学部の栄養学科に進みまして、今振り返ると本当に先生方に恵まれていて、「この学部でよかったな」と心から思っています。基礎の栄養学はもちろん、人の体をトータルで見る視点をしっかり教えてもらいました。
──大学時代から、すでに「スポーツ栄養をやりたい」という気持ちはあったのですか?
吉谷:ありましたね。自分自身がずっとスポーツをやってきたので、アスリートの方々を栄養面からサポートしたいという憧れは強かったです。ただ、当時は今みたいに「スポーツ栄養学」という概念がほとんどなくて。専用の教科書もなければ、スポーツ栄養学科のようなものもない。「どうやってそこに辿り着いたらいいんやろか……」と、ずっと手探り状態でした。
──そんな中で、出会ったのが山上文子先生だったのですね。
吉谷:大塚製薬陸上部の栄養サポートをされていた先生なんですけど、研究者らしさと、「お母さん」みたいな温かさを両方持っておられる方でした。学生に対しても「うちに来て、何でも話していいよ」と、自宅に呼んでご飯を作ってくれたり。選手に対しても同じで、「栄養士と選手」というより、「家族に近い距離感」で接している姿がすごく印象に残っています。
──山上先生から、特にどんなことを学ばれましたか。
吉谷:一番大きかったのは、「栄養指導は、数字やカロリーの話だけにとどまらない」ということですね。もちろん科学的な裏付けはしっかりあるんですけど、現場でのアイスブレイクは「ちゃんと食べてる?」「最近どう?」という会話からなんです。ご飯を一緒に食べながら、色々な話を聞いて、そのうえで「じゃあ、こういう食べ方してみよか」と提案していく。そんな姿を目の当たりにして、「こういうスポーツ栄養士になりたい」と強く思うようになったんです。

