◆なぜ彼らの言葉は届かず、消費されてしまうのか
しかしながら、その発言や表現は、いずれも彼らに同調する人たちの間で熱烈に消費され拡散される一方で、反発する人たちからはサンドバッグとしてもてあそばれ、飽きられたら見向きもされない言葉になってしまう。
なぜ、高貴で真摯な心がけから発せられた言葉が、本当に届いてほしいところに届かないのでしょうか?
そこには“おっさんの傲慢さ”が見え隠れしているからだと考えます。
◆憂国の裏に透ける「おっさんの傲慢さ」
まず、うじき氏、松尾氏、ケツメイシの表現には、年長者による教育的指導というトーンが滲んでいます。彼らはいずれも、それぞれの道で仕事に成功し、社会的地位を得たという、世間の認証があります。この認証を担保に、一般の有権者に対する教育的指導という意味での警鐘を鳴らしてもよいのだと考えているフシがある。
ざっくり言うと、うじき氏や松尾氏は自民党や補完勢力に投票する人たちをバカだと思っているし、ケツメイシは、社会は大事なものを忘れてしまったと訴えている。
そのような嘆きに特権性を与えているのが、彼らがキャリアで成し遂げた成功であり、だからこそ、その言葉に“おっさん臭い”と鼻白んでしまうわけですね。

