◆成功者だからこそ感じる“焦り”の正体
次に、彼ら自身の問題です。年齢を重ねミュージシャンやタレントとして現役感を失いつつあるなか、新たな存在意義を見出す必要にかられての発言という見方です。それは、かつて確かに成功者であった自身が、社会に何らかの意義あるものを残さなければならないという切実な願いから来るものです。成功者だからこそ感じる焦りなのでしょう。
しかし、その焦りを言葉の裏側に感じるから、過激な表現とは裏腹に上滑りしてしまう。見ての通り、SNSやネットニュースで消費されてハイ終わり、になってしまうのです。
◆過去を棚上げして社会の未来を語ることこそが「おっさん仕草」
最後に、国家という自分自身の存在よりも遥かに大きなものについて、他者を巻き込むような刺激的なフレーズで気軽に語れてしまう状況について。これは、いずれもおっさん特有の“未来の若者のため”という免罪符がなせる業です。自分たちは遠くない将来、去っていく世代である。だから、せめて後の世代には、よりよい社会を残したい――。
もちろん、こうした意識は美しいものです。しかし、同時にそこには当事者性が存在しません。つまり、いま彼らが言うように“汚れた社会、政治”であるのだとしたら、それを許してしまった責任は一体どこにあるのでしょうか?
うじき氏や松尾氏の警句、そしてケツメイシのエールに、どこか信憑性が欠けるのは、彼ら自身が歩んできた道のりを棚上げして、社会の未来を語っているからなのだと思います。
そして、それこそが、どうしようもないほどにおっさん仕草なのです。
選挙結果がどうあれ、日本の空気を支配するものがおっさんであることは揺らぎません。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4

