◆「一日1000件の殺害予告」を受けた過去
――お笑い芸人として“笑い”を生業にしてこられたスマイリーさんですが、誹謗中傷についての問題は、まさに笑いと対極にありますよね。スマイリーキクチ:そのとおりです。もしも自分に誹謗中傷を受けたことを笑いに変える技量があったとしても、デマの発端となった事件があるので、絶対にしてはいけないことだと考えていました。私が出演した番組のテレビ局には抗議の電話が来て、日に1000件の殺害予告を受けることもありました。実際の殺人事件にも触れてしまうので、茶化すことはしたくなかったんです。
一方で、「誹謗中傷をされて、それで終わりにはしたくない」という思いもありました。誹謗中傷が書き込まれた当初も日々ライブに出ていた人間として、ただ「私はやっていません」と言っても、伝わりません。
そこで、ライブに出たとき、「いま、楽屋でテレビを見ていましたら、◯◯さんが結婚したらしいんです」と人気芸能人の名前を出しました。当時をときめくスターですから、地鳴りにも似た驚嘆の声があがります。しばらくして、「これ、嘘なんですけどね」と言うんです。続けて「でも私が嘘だとバラさなければ、みなさん信じてしまいましたよね。家に帰るまでに、何人かに教えちゃった人もいたんじゃないでしょうか」と。当時はスマホもありませんから、その場で検索もできません。こうやって、私なりにデマが拡散する構造を伝えてきました。
◆今でもふと思い出す祖母の存在
――身近な人から信じてもらえていたとはいえ、世間の人々から犯人だと思われている当時の状況は辛かったことと思います。それでも突破口を切り開いていけるスマイリーさんのメンタリティの源泉には、どのようなものがあるとご自身で思いますか。スマイリーキクチ:幼い頃、いつも祖母が私の味方でいてくれたことが大きいかもしれません。祖母の自宅は私の家からそう遠くないところにあって、私は母に叱られると決まって祖母宅に逃げ込んでいました。すると、縁の下からホコリだけの瓶サイダーを取り出して、わきの下でぎゅっと拭いて渡してくれるんです。「大人だってストレスが溜まったら酒を飲んで愚痴を言うんだから、お前もサイダーを飲みな」って。そして、「愚痴は生きている証拠。その代わり、笑って話せ」とも教えてくれました。私が常に笑っていようと思えるのは、祖母の教えがあるからだと思います。
その祖母がよく言っていたのは、「笑っていればいいことがある」という言葉でした。祖母が生きた時代は戦争のさなかでしたから、「辛いと思ったら、空を見ろ。お前の時代は空を見上げれば雲しかない。戦闘機がいるわけじゃない」とも話してくれましたね。
――子ども時代にすでに芸名の基盤があったわけですね。
スマイリーキクチ:そうですね、最初はこの芸名を名乗っていなかったのですが、ある日トイレで偶然居合わせた秋元康さんから「キクチくんはいつも笑っているね。トイレで笑っている人は初めてみた。明日から芸名は“スマイリーキクチ”だね」と冗談で言われて(笑)。それを近くにいたマネージャーが真に受けて、今の芸名が決まったんです。

