
日本の地域医療はいま、存続の危機に向かいつつあります。2040年に85歳以上の救急搬送が2025年と比べて6万6,000件増える一方で、それを担う医療・介護現場では約160万人の人材不足が起こると予想されています*1。
徳島県最南端に位置し、人口約8,400人の海陽町にある海南病院も、医療ニーズの増加と人材不足という問題に頭を抱えていた医療機関の一つです。
ところが現在では、この病院には全国から医療関係者が毎月のように見学に訪れるようになっています。取り組みの中心となったのが、徳島にルーツを持ち、2024年から海南病院で総合診療科医を務める國永直樹医師です。どのように病院を立て直したのか、その背景を聞きました。

なぜか人が集まる採用活動

──國永先生が海南病院に着任されたのは2024年とのことですが、当初はどのような課題があったのでしょうか?
國永さん:常勤医師が院長のみなので、非常勤でさまざまな医師に来てもらっていました。ところが、救急で患者さんが運ばれても当直医の専門分野によっては対応できず、受け入れを見送るケースも少なくありませんでした。こうした状況が続いた結果、地域の方からの信頼が損なわれ、ほかの病院を選択するという悪循環が起きていたんです。
──そのような課題に対し、どのような取り組みをおこなったのか教えてください。
まず私が出勤する日に限定して、総合診療科を創設しました。総合診療科であれば、まずは「診る」ことができますから。これと並行して総合診療科を任せられる医師に非常勤で来てもらい、救急も受け入れられるよう院内体制づくりに努めました。具体的には、毎週水曜日に多職種合同カンファレンスを実施し、救急受け入れ時の対応方法を勉強する機会を設けています。また、看護師向けに「教えてノート」を作り、わからないことを自由に書いてもらうようにしました。
──採用活動はどのように進めたのでしょう?
海南病院は町立なので、まずは自治体と連携して病院見学を希望される方向けに旅費を補助する制度を始めました。現在では、徳島県が「医療版ワーケーション」という仕組みを始めたため、県外の医師や看護師が交通費や宿泊費を気にせずに、海南病院で働けるようになりました。
さらに、自治体との連携の一環として、暮らしの魅力も伝える求人を出しました。海陽町には日本屈指のサーフスポットがあるため、仕事だけでなく食やレジャーなど地域の魅力もアピールしたところ、実際に採用につながったケースもあります。

──公私ともに充実するのは働き手にとって魅力ですね。
学びつつプライベートも大切にできる環境だと思います。医療者が同じ地域で暮らすことで、患者さんの暮らしもイメージしやすくなりますし、地域との交流も生まれます。
また、地域とのつながりを持つために「海南病院まつり」も実施しています。昨年は、地元の中高生にステージで演奏してもらったり、病院職員と地域の子どもたちが阿波踊りを披露したりしました。
──さまざまな取り組みをしているんですね。実際に見学や入職される方は以前と比べて増えましたか?
総合診療や救急を専門とする非常勤の医師が、7名ほど関わるようになりました。また、これまで14名の看護師が見学に来てくれて、2025年にそのうちの2人が就職しました。1週間単位でのワーケーションも受け入れているので、毎月4〜5名は来てくれています。やってみないとわからないとは思っていましたが、想像以上の結果でした。
住民が安心し、学生が残りたくなる地域医療を
──さまざまな取り組みを実施されていますが、その原点は何なのでしょうか?
医学部を卒業したあと、臨床研修が有名な沖縄にある中部徳洲会病院で研修医になりました。2年目に人口5,000人弱の伊良部島に行くことになり、そこが最初の転機となりました。
島には診療所が1つしかなく、医師1人で診療をおこなう体制だったので、あらゆる症例を診る必要がありました。ここで「日本のへき地はどこも同じように医療資源が不足しているのでは?」「科目を問わず診療できる医師を育てる必要がある」と感じたんです。
──その思いを、どのように形にしていったのでしょうか?
入職4年目になったころ救急総合診療科を立ち上げ、後進指導にも注力しました。普段は沖縄本島で研修をおこない、定期的に離島へ派遣する活動をしていました。
その後入職した岡山県にある1,200床近くを有する倉敷中央病院でも、上司と2人で総合診療科を立ち上げています。最終的には、総合診療科と救急科合わせて医師数50人ほどのチームにまで成長しました。当時も現在も一貫して重要視しているのは、地域の方に「診てもらえる」という安心感を持ってもらうことです。救急搬送先がある、治療が受けられる、まずはこうした体制を構築することに取り組んできました。
──海南病院でも真っ先に総合診療科を立ち上げていますね。
ここでも沖縄や倉敷と同じ理由からです。北米では複数の医師に診てもらうのではなく、一人の総合診療医が関わるほうが死亡率が低いというデータが出ています。しかし、日本ではほとんどが専門医で、診療科を転々とせざるを得ないケースも少なくありません。
また、医師が病院で患者さんを待っているのが一般的です。がんの患者さんに抗がん剤治療をする、大動脈破裂の患者さんに手術をする、これではもう遅いんです。もっと病気になる前の早い段階から携われば、助かる人は増えると考えています。
どうしたら病気を減らせるか、予防的な観点を含め診療科を問わず人を助けられる医師を育て、最終的には病院が必要のない地域にしたいです。
──そもそも、なぜ大規模病院から徳島県最南端の病院へ行こうと思ったのでしょうか?
いくつかあるのですが、「学生たちが地域に残りたいと思える地域医療をつくりたい」と思ったことが、一番の理由です。
倉敷で勤務し始めて14年が経ったころ、地元徳島で地方創生医師団のシンポジウムがありました。会場が海南病院だったので、このとき初めてここを訪れることになります。
そこで、後輩の学生と話す機会がありました。医学部の地域枠*を利用している学生で、徳島に思い入れがあって制度を利用しているのだと思っていました。ところが、学生から出たのは「残りたいから残る」ではなく、なかば義務を果たすために「残らなければいけない」という声でした。
こうしたやりとりをとおして、地域に学生が残るかどうかは「ここで学びたい」と思える環境があるかにかかっていると感じました。沖縄や倉敷での経験からも、人は必ずしも都心に集まるのではなく、「教育があるところに集まる」という実感がありましたから。これを証明するにはど田舎のほうが説得力があると思い、2024年から海南病院で勤務し始めました。

