重森三玲 ― 庭園を「モダンアート」に押し上げた作庭家

一方、昭和の時代に活躍した重森三玲(1896~1975年)は、まったく別の方向から日本庭園の革新に挑みました。彼の代表作である東福寺本坊庭園は、伝統的な枯山水の形式を継承しながらも、大胆な幾何学模様や抽象表現を取り入れ、庭をモダンアートの領域へと近づけた作品です。
三玲は美術・生け花・茶道に通じた人物であり、歴史的庭園の研究を通じて作庭の素養を独学で身につけました。日本の美の伝統様式を熟知したうえで、あえて石や苔を方形に配し、砂紋をモダンデザインのように引くことで、伝統の内部に潜む「形の力」を現代的に引き出したのです。これは、単に奇を衒ったものではなく、伝統と現代をつなぐ橋渡しとしての革新でした。

*「蓬莱」とは、古代中国思想において不老不死の仙人が住む理想郷を指す。Yoshihide KIMURA/Shutterstock.com
東福寺の庭は、既存の素材を無駄にせず、すべて用いるといった禅の精神や、蓬莱島の意匠など、作庭の伝統を形の上でも精神的にも受け継いでいます。そのうえで、庭を見る鑑賞者を「なぜこの形なのか」「この配置は何を意味するのか」と思索へと誘います。三玲は、庭を「鑑賞の対象」から「思考する場」へと昇華させました。まさに近代以降の芸術が求めた知的刺激を、庭という伝統的な媒体に持ち込んだのです。

重森三玲の庭は、戦後以降、海外の建築家やデザイナーからも高く評価され、日本庭園が伝統文化としてだけでなく、国際的な現代美術やデザインの文脈で語られる契機となりました。枯山水の形式を保ちながら抽象的な構成を取り入れたその作庭は、日本庭園の新たな可能性を世界に示したといえるでしょう。
近代庭園の2つの革新と現代へのつながり

こうして見ると、近代日本庭園は2つの方向からの革新によって形づくられてきたことが分かります。1つは、小川治兵衛が押し進めた、地形と水を生かし、視線や景色が自然に流れ広がっていく庭です。もう1つは、重森三玲が伝統様式を受け継ぎながらそれを抽象化し、形や線の美しさを読み解いて楽しむ知的な庭へと転換させたことです。

一見すると対照的な2人ですが、共通しているのは、どちらも伝統をそのまま守るのではなく、時代の感性に合わせて創造的に作り直したという点にあります。そして、その姿勢こそが、現代の庭づくりへと脈々と受け継がれています。
自然とともに暮らす喜びを感じさせてくれる庭。 そして、見る者に問いを投げかける庭。
近代日本庭園の始まりは、その両方の可能性を切り開いた豊かな時代でした。治兵衛の自然主義の庭と三玲のモダンアート的庭園を知ることは、日本の庭の多様性と奥深さを再発見する旅でもあります。2人の庭に触れると、庭という空間がいかに人間の感性や社会の変化と密接に関わっているかを、改めて感じることができるでしょう。
【おすすめ参考図書】
「植治七代目小川治兵衞:手を加えた自然にこそ自然がある」(シリーズ京の庭の巨匠たち 2), 京都通信社, 2008年
「重森三玲:永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド」 (シリーズ京の庭の巨匠たち 1) , 京都通信社, 2007年
Credit 文&写真(クレジット記載以外) / 遠藤浩子 - フランス在住/庭園文化研究家 -
えんどう・ひろこ/東京出身。慶應義塾大学卒業後、エコール・デュ・ルーヴルで美術史を学ぶ。長年の美術展プロデュース業の後、庭園の世界に魅せられてヴェルサイユ国立高等造園学校及びパリ第一大学歴史文化財庭園修士コースを修了。美と歴史、そして自然豊かなビオ大国フランスから、ガーデン案内&ガーデニング事情をお届けします。田舎で計画中のナチュラリスティック・ガーデン便りもそのうちに。
