◆雲組のためになにができるかを必死で考えた
また、リーダーの塩釜菜那が雲組に加入したことで、毎レッスン後に自分たちの課題や反省を話し合って共有する場ができた。木下も雲組のためになにができるかを必死で考えて行動した。
セットリストに関しても『やりたいことある?』っていうことを聞いてくれて、それをスタッフさんに伝えてくれていました。受け身じゃなくて、毎公演を自分たちでも作り上げてきた実感があるから、より絆が深まった期間になったと思います」

◆体が弱かったからこそ、たくさんの人を助ける存在に
そう屈託のない笑顔を見せる彼女だが、幼少期には大きな病気を経験して歩くこともままならなかった。「お母さんからは、大変な手術だったと聞きました。そのときに重い病気を抱える子供たちと同じ病棟で友達になって一緒に英語の本を読んだり、勉強したり、長い入院生活を送っていたそうです。そんな経験があったから、退院してから両親は私に『やりたいことはない?』と聞いてくれて。習い事の絵画教室、ピアノ、英会話教室、バレエ、それから海外旅行など世界を広げてくれるような体験をさせてくれました」

僕青のオーディションを知ったのは、中学1年生。テレビはほとんど見ない生活でアイドルの存在も知らなかったが、友達から話を聞いて「私の夢が叶うかもしれない」と胸が高鳴った。


