「私の人生、終わった…」14歳で突然倒れ、顔面麻痺を患った女性が結婚・出産、モデルの夢に挑戦するまで「人生の主人公は自分」――仰天ニュース特報

「私の人生、終わった…」14歳で突然倒れ、顔面麻痺を患った女性が結婚・出産、モデルの夢に挑戦するまで「人生の主人公は自分」――仰天ニュース特報

大事件ばかりがニュースではない、身近な小さな事件の方が人生を左右することも。注目のテーマを取り上げ大反響を呼んだ仰天ニュースから特別セレクション!(初公開2025年8月22日 記事は取材時の状況)
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大切なものを失って「もう昔には戻れない」と知ったとき、どう生きていけばいいのか。

SHIBUKIさん(26歳)は14歳で脳幹部の海綿上血管腫を患い、 左の顔面と右半身に麻痺が残ることになった。思春期に病とともに生きなければならない現実を、どう受け入れたのか。

家族写真
SHIBUKIさん(写真中央)と夫のひーくん、双子の娘たちと
現在、SHIBUKIさんは結婚し、二児の母に。小学生時代からの夢だったモデル活動にも挑戦している。その壮絶ながらも前向きな人生について、話を聞いた。

◆中学3年生で突然倒れて「私の人生、終わったと思った」

14歳の頃
14歳の頃のSHIBUKIさん
――病気を発症したのは、いつだったのでしょうか。

SHIBUKIさん(以下・同):中学3年の終わり、15歳になる1か月前のことでした。突然倒れて、そのまま入院。しばらく寝たきりで、目が覚めたら、自分の体がまったく動かなくて。

医師からは「脳幹部にあった血管奇形の一種である海綿状血管腫によるもの。もう昔のようには戻れない」と説明されました。

――どんな感情を抱きましたか。

頭が真っ白になって、何も考えられなかった。私の人生、終わった……と思いました。

両親もつらかったと思います。でも「一番つらいのはしぶきだから、しぶきの前では泣かない」って決めてくれていたみたいで、こらえながら伝えてくれたのを覚えています。

3歳年下の妹も「お姉ちゃんの前では泣くな」と言われていたみたいで、私の隣では一度も泣きませんでした。あとで聞いたら、待合室ではずっと泣いてたって。

リハビリ中
リハビリ中の様子(15歳の頃)
――全く動かないところから、どうやって今の「左顔面麻痺・右半身麻痺」まで回復されたのですか?

呼吸器がついていたので、まずはそれを外すところから。昼間だけ外して、次は夜も……と段階を踏んでいきました。少しでも体を動かすとむせてしまって、大変でした。

次に「まずは水を一滴飲み込んでみよう」などのリハビリをスタート。でも、うまく飲み込めなくて、母と一緒に病室で大号泣したのを覚えています。

リハビリはつらかったけど、食べることが大好きだったので、 「もう一度、ごはんを食べたい」というモチベーションで頑張りました。

あとは妹の存在も大きかったです。障がいを持っても、私には変わらず接してくれて、ひたすら笑わせてくれました。友達にも特に隠したりすることはなかったみたいです。

モデルポーズ
ベッドの上でモデルポーズ(15歳の頃)
――原因ははっきりしているのでしょうか?

詳しくは不明なんですけど、中2の夏に事故に遭っていて。自転車に乗っていたとき、十字路で車とぶつかって上に飛ばされて、頭を強く打ちました。CTも撮ったんですけど、「怪我はあるけど大丈夫だろう」で終わっていたんです。

でも、トラウマにはなっていないですね。私はかなりスピードを出していたので「自転車で爆走しない」という教訓になりました(笑)。

◆「普通に戻りたい」と思って普通の高校へ行くも……

高校時代
高校時代
――高校は、どんな学校を選ばれたのでしょうか。

普通の高校に、1年遅れて進学しました。「女子高生になりたい」っていう気持ちが強かったのと、まだ障がいを受け入れきれていなくて、障がい者向けの学校に通うのは“自分じゃない”気がしたから。私なら、難なくいける……そう思っていました。

もう話せるようにはなっていたけど、歩くのは難しかったので、歩行器を使って通ってました。

でも、通学を始めてすぐ、「私ってこんなにできないことが多いんだな」って思い知ったんです。

――どんなときにそう思いましたか?

授業の準備とか移動とか、みんなが普通にできることが、自分には何倍もの時間がかかる。みんなと話していても、声の大きさも、会話のテンポも、ついていけない。

中学の頃の私は「元気もの」って呼ばれてたくらい、声が大きくてテンション高めのキャラだったんです。でも高校では真逆で、大人しいグループに身を置くようになりました。

放課後に遊びに行ったり、みんなとふざけあったり、そういう元気なグループにはもう戻れない。こんなの私じゃないって、高校1年のときはずっと悩んでいました。

――その後、気持ちに変化はありましたか?

高2でクラス替えがあって、派手なグループではなかったけど、そこにいた子たちは自然に接してくれたんです。気を使いすぎず、ちゃんとツッコミも入れてくれて。平等に扱ってくれるのが、ありがたかった。

あとは“かわいくなりたい”という気持ちがますます大きくなりました。顔面麻痺があるから、笑っても口角が上がらないし、目も思うように開かない。全くかわいくないんです。

でも、友達のおばさんにメイクを教えてもらったり、「どうしたらアイラインが引きやすいか」って工夫したりして、なんとかかわいくなるように工夫し続けました。

20歳の頃
20歳の頃
――メイクは、かなり上達されたのですね。

昔は「人よりできないことが多い=人より下」って思い込んでたから、外見だけでも追いつきたかったんです。髪型もダイエットも、同世代の子たちに負けたくない一心で、やっていました。

でも、今の私を否定しない友だちとの出会いや、自分らしい装いができるようになってからは、人と比べなくなっていきました。

小学生
小学生時代(12歳の頃)
――病気になる前から、自分らしく「装う」ことにこだわりはあったのですか。

小学校の頃からオシャレが好きで、モデルになりたかったくらいなので。昔からメイクしたり、服を選んだりすることを「面倒くさい」と思ったことはありません。それは病気になってからも同じ。どうすればかわいく見えるか、ずっと考えていました。

たとえば、よく左目に貼っているラップのことについて聞かれます。これは顔面麻痺で瞬きが出来ないので、乾燥を防ぐため保護しているんです。もうラップは体の一部なので、右目をどうアイメイクすればかわいく見えるか?ということについては、日々試行錯誤しています。

今では、TikTokのライバー事務所に所属させてもらっていて、ランウェイや雑誌掲載をかけた配信イベントがあり、チャンスをつかむために配信しています。他にも「モデルになりたい障がい者ママ」として動画を投稿しています。


配信元: 日刊SPA!

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