"2000万円が溶けた事件"がなかったら私はコラムを書いてない

水の中でも目を開けていたかどうか!?

世の中ではよく「夢を持つ生き方」が賞賛される。 しかし、ワタシが30年以上前に「作戦屋」として起業した時、胸にあったのはキラキラした夢などではなく、生まれたばかりの長女の「ミルク代を稼がねば」という切迫感だけだった。 カミさんからは、お金がないとせき立てられた。

企画書を書いている時は、早くこの仕事を終えてグリーンランド=サウナへ行きたい(現実逃避したい)と願っていた。息の詰まるような現実の中で、自分をなんとか慰めるために、夢や理想という言葉を無理やり言語化していただけなのかもしれないなぁ!?

タモリさんは、かつてこう言った。 一芸を成し遂げた人は、ただ何かに夢中になっていただけのことだ。「そういう人たちは夢を持ってやってたかっていうと、そうじゃないよね」と。 この言葉は、ワタシの胸に深く突き刺さる。

結局、一芸を成すか、あるいは生き残れるかどうかの差は、「水の中でも目を開けていたかどうか」ではないか。 溺れそうな苦しさの中で、もがきながらも必死で目を開け、目の前の獲物(仕事)を掴み取る。その連続が、結果として「キャリア」と呼ばれるものになる。夢を見ている余裕などない、必死の形相で泥水を飲んできただけなのだ。

あの2000万円は、ただの損失だったのか?

ここからが本題だ。 銀行のメディアで書くのは勇気がいるが、果たしてあの2000万円は「損失」だったのか!?それとも「投資」だったのか!?投資対効果(ROI)を計算してみる。

金銭面では完全な大失敗だ。しかし、その絶望を燃料にして手に入れた「書き続ける力」はどうだ。毎日うんこをするみたいに文章を書き続け、還暦を過ぎてもなお「作戦屋」として現役でいられる。こうして得た精神的な自由を換算すれば、あの2000万円は、極めて高額な、しかし不可欠な授業料だったのではないかと思う。

お金というのは、ぶっちゃけモチベーションになる。「稼ぎたい」という欲望よりも、「失ったものを取り戻したい」「この損をただのゴミにしたくない」という執念の方が、人間を遠くまで運んでくれたという変え難い実体験をさせてもらった。

ワタシの人生を最も激しく突き動かしたのは、効率的な投資ではなく、あの泡と消えた2000万円だった。 失った金は戻らない。だが、その痛みを言葉に変え続ける限り、ワタシの投資は今もなお、現在進行形で利益を生み出し続けていると断言できる。

体験以上のコトバはない!
今なら広島の方へ向かって「ありがとう」と叫べる!
あっ!?やっぱり200万円でいいから返して…。

配信元: mymo

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