◆部屋のなかで滞納者が自らの腹を切って……
では、命の危険が常につきまとう仕事なのか。実は、強制執行の現場で執行関係者が殺傷される事件は極めて稀だ。2001年に新潟県で起きた日本刀による殺傷事件が、長らく“最新例”だったという。ただし、現場が穏やかというわけではない。民間スタッフとして15年以上、不動産執行に携わってきたB氏(50代男性)は、日々の現場についてこう語る。
まるで映画、ドラマのようなやり取りが、日々起きている。ただ、そこには無情な結末を迎えることもある。
「冷静な滞納者が、『ちょっと待っていてほしい』と言われて外で待っていたのに、音沙汰がない。鍵を開けて入ると、包丁で腹を一文字に切り裂き、うずくまっていたこともありました……。また実害に近いものでは、資金繰りの悪化から統合失調症を発症した人に包丁を握ったまま『どうぞ』と迎えられたときは、生きた心地がしませんでしたね。ただ、『この後、自分はどうなるんですか?』と尋ねられ、刃物が使われることはありませんでしたが……」(B氏)

「私たちの報酬は時給制ではないので、現場が長引くほど割に合わない。だからトラブルが起きても、すぐ警察を呼んだり大ごとにせず、『危ない物はしまった方がいいですよ』『寒いから中に入りましょうね』と声をかけてなだめる。催告通知をポストに入れて、その日は引くのが普通です。何度も同じ説明を聞くうちに、『結局どうにもならない』と諦める人が多い」(A氏)
◆滞納者の母数は増加。出されても先はなし
今回の死傷事件では、家賃約5万5000円、滞納額は約60万円と報じられている。滞納期間は1年程度とみられるが、近年は半年を待たずに強制執行に踏み切るケースも増えているという。「2~3か月の未納で裁判所への訴えを起こす事例が、コロナ禍以降1.5倍程度に上がっている印象です。強制執行をかけるのに50万円ほどの出費と半年以上の期間が必要になるため、できるだけ早めに対処したい。建物維持管理費の高騰もあるので、賃料の値上げに踏み切りたいが、値上げ交渉どころか滞納者には出て行ってもらい、新しい賃料で優良な借主を見つけたいと思うのも当然でしょう」(B氏)
家賃滞納者は統計上も増加している。首都圏の管理物件を対象にしたデータでは、月末時点で1か月以上家賃を滞納している世帯の割合は2023年度に1.0%に達し、2か月以上の滞納世帯も0.5%まで拡大した。
さらに近年は、物価高の影響で家賃自体が上昇傾向にあり、実態としてはこのデータ以上に未納世帯が増えている可能性も否定できない。強制執行に至るまでの「母数」は、確実に膨らみつつあるのだ。
実際に“強制退去させられた側”のC氏(40代・無職)は、強制執行に至るまでの周囲の対応について、次のように語る。
「自分はメンタルが悪化して自宅療養をしていたのですが、体調が悪く、家賃の振り込みを忘れていました。すると家賃保証会社から電話で恫喝され、数日後に『市役所の者です』と嘘をついてドアを開けさせられました。『家賃払えこの野郎!』などと怒鳴られ、恐怖のあまり過呼吸になりその後、パニック発作が頻発するように。警察や弁護士に相談しても『事件化は厳しい』と言われました。精神科でも就労は不可能な状態と診断されているし、どうしていいかわかりません」
こうした制度の隙間で、実際に追い詰められていくのが滞納者本人だ。結局、強制執行後の生活までを見据えた救済はなく、“出された後”に待つのは空白だけである。
「家賃保証会社の法規制、行政の介入をすべきだと思います。家賃保証会社は滞納者を追い出すのがノルマになっていて、もはや本来のサービスである『保証人がいない人が賃貸物件を借りるための機能』を果たしていないと思います」
滞納者らの訴える『どうにかならないんですか』『この後、私はどうなるんですか?』という声に、明確な答えは用意されていない。出す側も、出される側も、誰も得をしないまま、強制執行という摩擦だけが今後も増えていく。
取材・文/ニポポ イラスト/子原こう

