◆「首相を擁護する意見が多い」ことの問題点
もっとも、ここで高市首相の論法や性格についてあれこれ言っても仕方ありません。問題は、今回の一件でこのような姿勢を見せた高市首相を擁護する意見がとても多かったことです。なぜ問題なのかというと、答えは簡単です。為政者、権力者に対して、ここまで過保護な言葉が飛び交うことは異常事態だからです。
その背景には、政策的、思想的な共鳴以上に、だらしない感情的なもたれ合いが政治家と有権者との間に生まれてしまった昨今の風潮があります。高市早苗=自民党に投票した人たちが、自らの投票行動を正当化する必要を感じているために、ほんのわずかな批判的な視線をも敵視しなければならない精神状態ができあがってしまった可能性です。
つまり、有権者の政治を見る視線が、そこに全てを賭けるオールインになってしまっているのですね。これは自民党や高市首相を支持する人たちに限った問題ではありません。“自民党に投票するやつはバカ”とか“偏差値60以上なければリベラルの政策は理解できない”といった言葉も、野党にオールインという意味では同じだからです。
◆政治にまつわる言葉が極めて脆弱なものになってしまった
そこにはSNS選挙全盛の時代における、エコーチェンバー現象、そして、それが加速させる選挙の推し活化も影響しているでしょう。このオールインをする姿勢によって敵味方、白黒をはっきりつけるという状況が、政治にまつわる言葉を極めて脆弱なものにしているのではないでしょうか。なぜなら、言葉とはグラデーションであり、意味をはっきりと確定できない物事がほとんどの中にあって、その微細な違いをつぶさに捉えていくことが本来の役割だからです。
にもかかわらず、先般の選挙に関わる言論を振り返ると、このグラデーションとは程遠いやり取りばかりに終始していました。
それは、額面上の激しさとは裏腹に、何の重みも含みもない言葉が静かに沈殿していくように見えました。
つまり、今起きている深刻な事態とは、右翼や左翼、保守やリベラルといった対立などという甘っちょろい話ではないのです。極限まで液状化した地盤に、政治の言葉が埋もれていく。この白黒思考のガキのケンカに拘泥している限り、有権者の声が窒息していくのみ。その構図こそが、危機なのです。
太田光の問いかけに対する高市首相を保護する社会状況は、それを如実に映し出しているのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4

