パラドックス——そして魅力
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ファッション史は、コルセットが純粋に抑圧的なものだという考えに、数えきれないほどの反証を提供している。例えばヴィヴィアン・ウエストウッドのパンク的再解釈は、反抗の象徴として今なお生き続けている。最近ではチャーリーXCX(『嵐が丘』のサウンドトラックを手掛けている)がロサンゼルス・プレミアで透け感のあるヴィヴィアン・ウエストウッドのドレスを着用し復活させた(彼女はロンドンで行った自身の結婚式でも同ブランドに身を包んだ)。強調した胸元と、彼女の代名詞とも言える妖艶(ようえん)で反抗的な眼差しで、彼女はコルセットを束縛ではなく、エンパワーメントとして体現したのだ。
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ジャン=ポール・ゴルチエもまた、官能性を戦略的に用いることで、コルセットを大胆な主張へと変えた。彼がマドンナのためにデザインした円錐(えんすい)形のバストは、きつく締められたコルセットのボディスに固定された。それは嗅ぎ薬(18〜19世紀に一般的だった気絶した人を目覚めさせるための刺激臭)を握りしめたヴィクトリア朝のか弱い乙女というより、「勇気があるなら近づいてみなさいよ」と挑発しているように見えた。
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ディタ・フォン・ティースもまた、コルセットを力と支配の象徴として捉え、規律を魅惑のひとつの表現として活用している。確かに彼女の徹底的にコントロールされたシルエットは、甘美なバラ色のノスタルジーを漂わせているが、彼女自身がそのデザインの設計者であることは明らかだ。
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キム・カーダシアンも2024年のメットガラで同様の主張をした。ジョン・ガリアーノがメゾン・マルジェラ時代にアンティークのシルバーブロケードを再編して制作したオートクチュールのコルセットに身を包み、劇的なまでにウエストを締め上げたのだ。
補強下着やエルヴェ・レジェのバンデージドレス(2010年代、同ブランドの砂時計形シルエットのボディコンシャスなドレスがキムのシグネチャースタイルだった)にまで遡る、カーダシアンとコルセットの関係は全面的には支持しづらい面もあるが、戦略的なものであることは否定しようがない。レッドカーペットでの装い(そしてそれがマスコミの注目を集めることを彼女は知っている)であれ、あるいはやはり話題性を伴う補正下着帝国(キムが手がけるアンダーウェア・ラウンジウェアブランドSKIMSのこと)をビジネスとして巨大化させたことであれ、キムはボディスカルプティング(体を意図的に造形・演出すること)を信じられないほど収益性の高いものにしてきた。
そして、アレキサンダー・マックイーンの彫刻的な鎧のような造形、ディラーラ・フィンディコグルーの荒々しく挑発的なボディスなど、デザイナーたちはコルセットを支配、スペクタクル、自己表現の言語へと絶えず変容させてきた。
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もちろん、緊張感は依然として残っている。コルセットはいまも、非現実的な身体の理想や抑圧の歴史の重みを背負っており、特に医療ダイエットブームに支えられた痩身志向を背景に、誰もがその復活を前進と捉えているわけではない。しかし、ファッションは常に矛盾の中で繁栄してきた。コルセットは現在、再解釈と不快感、魅力と不安の狭間に位置している。
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個人の好みはさておき、『嵐が丘』のプロモーションツアーは映画『バービー』並みのファッション的熱狂を巻き起こしたとの見方が一般的だ。しかしこれほど歴史的な意味を背負った衣服が、格差が拡大し、女性の身体が再び厳しく注視される時代に再浮上している事実は多くを物語っている。コルセットはいまなお問いかける。誰が装飾される側で、誰が力を持つのか。そしてその違いを決めるのは誰なのか、と。
※( )内編集部注
translation & adaptation: Akiko Eguchi
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