幼少期、世田谷の豪邸に住んでいたが…父の事業失敗で夜逃げ、6畳一間のアパートへ。働き詰めの母は昏倒。月収31万円・44歳男性が、借金まみれの父から唯一相続した「差し押さえ不可の遺産」

幼少期、世田谷の豪邸に住んでいたが…父の事業失敗で夜逃げ、6畳一間のアパートへ。働き詰めの母は昏倒。月収31万円・44歳男性が、借金まみれの父から唯一相続した「差し押さえ不可の遺産」

「当たり前」が崩れるのは突然です。昨日までの裕福な暮らしが一変、借金取りに追われる日々へ。物理的な豊かさを剥ぎ取られた時、人にはなにが残り、なにが支えとなるのか。深い喪失感を味わった元富裕層の男性が、40代で見つけた「失われない財産」について考えます。※登場人物はすべて仮名です。

美術品の並ぶ豪邸から、6畳一間のアパートへ

ユウスケさんの生家は、世田谷区の閑静な住宅街にありました。不動産事業で成功していた父の趣味は絵画収集。リビングや書斎には、海外のオークションで落札した油絵が飾られている家でした。「ユウスケ、本物はいいぞ。見る目を養え」そう語る父の横で、ユウスケさんも見よう見まねでスケッチブックに向かう。――それが少年時代の幸福な記憶です。

しかし、その生活はユウスケさんが中学3年生だった冬、唐突に終わります。バブル崩壊後の無理な投資が祟り、父の会社が不渡りを出したのです。学校から帰宅したユウスケさんが見たのは、執行官たちが、父自慢のコレクションを次々と運び出していく光景でした。壁に残された四角い日焼けの跡が、かつての栄華を虚しく物語っていました。

その日の夜、親子3人はトラックに乗り込み、住み慣れた家をあとにしました。

「私が働きます」母の覚悟と父の蒸発

引っ越し先は、都内から離れた北関東の工業団地にある、築40年の木造アパートでした。6畳一間に親子3人。父は、朝から酒をあおり、暴れました。「俺はこんなところで終わらない!」父の変わりぶりには言葉が出てきません。

そんな地獄のような家計を支えたのは、母・ヨシコさんでした。「お父さんは病気だから」そういって、近所の定食屋や清掃のパートを掛け持ちしました。お嬢様育ちで働いたことがなかったのに、洗剤荒れで母の指の節は太くなっていったのをよく覚えているそうです。高校に進学したユウスケさんも、放課後はアルバイトに行き、生活費を稼ぎました。

そしてユウスケさんが18歳のとき、父は「知人に金を借りてくる」と言い残して蒸発。残されたのは、借金の督促状と、心身ともに限界を迎えた母だけでした。

倉庫の作業員と、深夜のイラストレーター

高校卒業後、ユウスケさんは大学進学を諦め、地元の物流会社に就職しました。朝から晩まで倉庫で荷物を運び、フォークリフトを操作する日々。派手さはありませんが、その堅実な収入が、母との生活を安定させました。

転機が訪れたのは、就職して数年が経ったころです。過労がたたったのか、母が脳梗塞で倒れました。一命はとりとめたものの、以前のように働くことはできません。ユウスケさんは、母を支えるため、そして自分自身の精神のバランスを保つために、再び「絵」を描きはじめました。今度はキャンバスではなく、安物のタブレット端末で。

「現実が辛いときこそ、綺麗なものを描きたかったんです」SNSに投稿したイラストは徐々に評判を呼び、やがてWeb広告の仕事が舞い込むようになりました。倉庫作業員としての安定した給与と、イラストレーターとしての副収入。そしてなにより、職場で出会った妻の存在が、ユウスケさんの人生を再構築していきました。

あるとき、警察から連絡が入りました。蒸発していた父が、遠く離れた地方のアパートで孤独死していたという知らせでした。部屋にあったのは消費者金融のカードと、山のような督促状だけ。ユウスケさんは弁護士に相談し、相続放棄の手続きを行いました。これにより、父との関係は法的に、完全に終わりを告げました。

「あの窓からの景色」をもう一度

現在、44歳になったユウスケさんは、中古ながらもバリアフリーのリフォームを施したマンションを購入し、共働きの妻と母と3人で暮らしています。現在の月収は31万円。イラストでの収入は月によりまちまちです。

先日の母の誕生日。ユウスケさんは一枚の絵をプレゼントしました。それは、世田谷の家のリビングから見えた、庭の風景画でした。

「あの家にあった絵画はすべて差し押さえられたけど、絵を描く楽しさまでは持っていかれなかった」

母は、泣いていました。そこには、借金の恐怖も、父への恨みもありません。ただ、家族が幸せだった記憶だけが、鮮やかに切り取られていました。

「父が遺した借金は相続放棄で消えました。でも、父のおかげで養われた絵を描くことの楽しさだけは、僕の資産として残った。皮肉ですけど、これが僕の生きる武器になっています」

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