第3章 船がつないだ縁、そして串木野へ
3.1 船上での出会い
ももさんの人生を大きく変えたのは、大学時代に乗った“船”でした。 東海大学の校舎は全国にありますが、希望する学生が全国から参加する1ヶ月半の海外航海実習で、のちに夫となる男性と出会います。
「夫はもともと建設や土木工学を東海大学の熊本校舎で学んでいたんです。私は東海大学の静岡校舎。ただ、その航海実習がきっかけで夫は“海洋土木”に進路を変え、大学院で静岡校舎に来ることに。人生、何があるか分からないですよね。笑」
さらに驚くのは、夫の両親も同じく“船の研修”で出会っていたこと。
「話を聞いた時は本当にびっくりしちゃって! もう、運命ってあるんだなって思いました。笑」
3.2 遠距離を経て、いちき串木野へ
夫は九州出身で、就職を機に鹿児島県の薩摩川内市へ。 一方のももさんは大学卒業後に静岡でインストラクターとして働き、しばらく遠距離生活を続けていました。
「当時、夫が釣りで通ってたのが、串木野の海。 よく面倒を見てくれていた船長さんに“そんなに通うなら住めば?”って言われたのが、移住のきっかけでしたね。」
夫が偶然見つけた空き家に住み始め、ももさんもほどなく移住を決意。

家から出るとすぐに海が広がる立地
3.3 ルーツの発見
移住を両親に伝えると、思いがけない言葉が返ってきました。 「実はあなたのルーツに鹿児島の坊津(現・南さつま市)があるんだよ」――。
「“呼ばれたんじゃない?”って、父に言われました。笑 自分は幼少期を海外で過ごしているので、親戚付き合いというものと縁がない暮らしだったんです。なので、不思議な感覚でしたね。今でもたまに坊津へ潜りに行ったりするんですよ。」
「最初は大変でしたよ。慣れない土地で、海に潜るのも子どもを育てるのも体力勝負ですから。 私自身ずっと体育会系で生きてきたので、そのおかげで踏ん張れているのかも。笑」
第4章 「海が見える暮らし」が与えてくれるもの
4.1 暮らしの基準は「海が見えること」
移住の際、ももさんが譲れなかった条件はひとつだけ。
”窓から海が見えること”
「静岡の時もそうだったんですけど、家探しの条件は“海が見えるかどうか”だけでした。いまの家は本当に目の前が海で、子どもたちの遊び場も漁港のスロープ。気がつけば、生活の中心にいつも海があります」

家の窓から眺める海と漁港
4.2 台風被害が結んだ地域との絆
移住してすぐ、台風が直撃しました。 停電が続く中、夫は河川の仕事をしていたため出勤する必要があり、不安な夜をひとりで過ごしました。
そんな中、地域の公民館修復に集落総出で取り組んだことが、地域に溶け込む転機となりました。
「みんなで土嚢を運んで、壁を直して。私自身が海外や関東近辺で育ってきて、台風というものをほとんど経験してこなかったので、全てが新鮮でした。あの経験があったから、私は地域の人たちに顔を覚えてもらえたし、この地域の人間になれた気がします。」
4.3 “この土地で生きる人”の条件
「都会ではダイビング一本で食べていけたけど、ここではそうもいかない。だから、いろんな仕事を少しずつやる感じです。地域を盛り上げたい気持ちもあるけど、一番は“自分たちが幸せであること”。」
少し考えて、ももさんは続けます。
「いちき串木野は、“楽しみを自分で見つけられる人”には最高の場所だと思います。 海が好き、自然が好き、そういう人にはピッタリですよ。」


