◆美術品に熱中する風変わりな実父

はかせ:はい。高2のときだと思います。これまで一度も会ったことがなく、母も会いたがらないような人でした。実父は実業家で、さまざまな事業を成功させていました。そもそも父と母の出会いも、父の経営する会社にアルバイトで入ったのが母だったようです。2人は20歳近く離れています。父はほかに複数のお妾さんがいました。再会は「元気してたか? 大きくなったなぁ」みたいなものを想像していきましたが、ぜんぜん違いました。「おう、久しぶり」と言ったかと思えば、当時実父が熱中していた美術品の話を延々としていました。「これは◯◯円で落札したんだ」みたいなことです。
――変わった方ですね。
はかせ:正直、変わり者だと思います。けれども、なぜか私は馬が合いました。成人してからも、気軽に「今日、誕生日なんだけど、なんかご馳走してよ」みたいなことが続きました。私が学習院大学に入学すると、父は一緒に飲みに行った先でいろいろな人に自慢げに話していました。実業家としてかなり優秀でしたが、中卒だったことが少しコンプレックスだったのかもしれません。
◆妾や異母きょうだいとの確執が表面化
――通常の親子関係とはまた違う、特別な絆があったんですね。はかせ:そうかもしれません。ただ、障壁もありました。父は妾のひとりに銀座の店を持たせていました。その日もいつも通り父と銀座を飲み歩き、最後にきたのが妾の店でした。私はそのことを知らなかったのですが、妾は気づいていたようです。娘自慢をする父を面白く思っていなかったのかもしれません。父がトイレに立ったすきに、声色が変わり、「出ていけよ」と。そして、警備員のような人たちに囲まれて外に出され、用意されていたタクシーに私は乗せられてしまいました。
――妾はなぜそこまで恨みに思うのでしょう。
はかせ:遺産の取り分でしょうね。父は私を含めて複数の異母きょうだいを認知していました。妾にとっては取り分を減らした天敵だったのだと思います。父はその後、体調を崩し、やがて亡くなりますが、見舞いに訪れた際も妾や異母きょうだいから「生まれてこなければよかったのに」と罵られました。同じ言葉は過去にあの義父にも言われていて、それが今の人格形成に影響しているとは思います。私が実際に父の死を知ったのは、遺産相続のための手続きの段階でした。さまざまなことが重なり、遺産は放棄した形になりました。

