昨今ではいわゆる“ガテン系”の世界で、働く女性が増えてきている。道路陥没事故で全国的にその名を知られるようになった埼玉県八潮市に拠点を持ち、マンションや道路などの鉄筋工事を主事業として手がける株式会社松伸も、そんな会社の一つ。代表取締役会長を務める松本美幸さんは前社長の妻で、夫の病死を機に代表取締役会長となった。’25年10月、娘の七海さんも同社に入社。工事担当(約80人)と事務担当(約20人)に分かれる同社で、事務担当社員として日々仕事に励んでいる。
◆部下への指示は「イエスかハイか喜んで」……典型的な職人気質の世界

美幸:本当ですか(笑)。
七海:これ、金髪じゃなくてハイライトです! 私は自分のことをギャルとは思っていないんですが、「目立ったもん勝ち」という気持ちはあります!
ーー建設業界、それも鉄筋の会社と聞いて想像していた雰囲気と、かなりギャップがあって……。今日はお2人が「どうしてこの会社で働くことになったのか」から聞かせてください。まずは、お母さまの美幸さんから。

私はもともと看護師だったんですけど、夢は結婚だったんですよ。家庭を作ること、良妻賢母になること。料理ができて、子どもに手作りのおやつを食べさせて、一緒に遊んで……そういうのが夢でした。鉄筋屋の家に嫁いだからには旦那の3歩後ろを歩くのも当たり前だと思っている。いわゆる「古風な嫁」でした。
ーー美幸さんが嫁いだ頃の松伸は、どんな雰囲気でしたか?
美幸:典型的な職人気質の世界で、生活と仕事が一体でしたね。まずね、職人たちが社長(義父)のことを「親父」、その奥さんのことを「姐さん」って呼ぶんです。最初は「え、何?」って思いましたよ。社長が部下の職人さんに対して指示を出すときに「お前これこれしろよ、返事は3つ与えてやる。イエスかハイか喜んで。選んでいいぞ」と。圧のかけ方、すごくないですか(笑)?
毎月給料日には懇親会を開き、職人たちに食事を振る舞うのは当たり前。ときには夜中に主人から電話がかかってきて、「今から職人10人連れていくから、ご飯を作ってくれない?」と言われたこともありました。言い方はそんなに強くはなかったんですけど。
2人の子どもはまだ小さくて、おんぶしながら買い物に行って、食事を作っていました。義母からは、「冷蔵庫にはいつもパンパンにしておきなさい」という助言も受けていました。
ただ当時はそれが嫁としての役割だと思って受け入れていましたね。
それが子どもが大学に進学してから、夫が白血病になり、他界してしまって……。あれよあれよという間に環境が目まぐるしく変わっていきました。
ーー’16年には取締役に就任。’22年からは代表取締役副社長となり、3代目社長の夫・松本茂さんが亡くなられた’24年からは代表取締役会長になられています。突然、トップに立つことが決まって戸惑う気持ちはありましたか?
美幸:もちろんありました。私には、鉄筋の知識も技術も経験もないですから。でも、私が引き受けない限りはこの会社の人たちはどうなるんだろうという思いもあった。「それなら自分がやるしかない」と決断した。
◆「え、パパ死んじゃうの?」父が白血病と知ったときの衝撃


七海:そんな気持ちは全然なかったんです。実際、大学卒業後は友人の誘いで、発達障害を持った児童たちのための学童保育である「放課後等デイサービス」の仕事をしていました。大学では心理学専攻で、もともとカウンセラーとか、心理職になりたかった。院に進みたい気持ちもありましたが、改めて自分の素質や当時の家庭の状況を考えたところ、難しいなと断念していました。
ーーその当時から、お父様が白血病で入院されていたんですよね。
七海:最初に父の病気を知ったときは20歳で、「え、パパ死んじゃうの?」と混乱しました。当時20歳だったんですが、大学時代の友達がいっしょに飲んでくれて、朝まで泣きながら話す私を受け止めてくれました。でもそれがなかったら、本当に心の置きどころがない状態でした。しかも実は、同時におばあちゃんの病気も進行していて……。正直、卒業することが優先で「家族を支えなきゃ」と思える余裕はなかったです。マイナスの感情を持ちたくなかったので、1日が何事も起きずに終わればそれでよいという感じでした。
ーー一度は違う畑で働いていたのが、そこからどうしてこの会社に?

美幸:母としては、娘の行きたい道に自由に進んでほしいという気持ちがありました。一方で松伸の人間として、就職先の選択肢にこの会社が入っていてほしいという願いがあったので、彼女が入社を決めたときはうれしかったですね。
七海:この会社の面接時の志望動機はめちゃくちゃ困りました(笑)。ただ、「ずっと松伸に守られてきた」っていう感覚はあって。幼少期から職人さんたちのことをよく見知っていてみんなお兄ちゃん、お父さん、おじいちゃんみたいな感じなんです。
コロナ禍で国じゅうが苦しんでいるときも、生活水準は変わらなかった。それって両親だけではなく会社の人たちのおかげだなって。それなら恩返しに「みんなを守りたいかも」って思ったんです。

