SNSで頻繁に目にする、奇妙な走り方をする中年男――。「歩いているだけなのに、全然疲れない」と視聴者を困惑させ、その動画は次々と拡散された。この埋もれていた技を掘り起こしたのは、AIでも最新テクノロジーでもない。たった一人の“走りオタク”の執念だった。古代の歩法を「江戸走り」の名で現代によみがえらせた男の正体とは?

◆江戸から京都まで3日で走りたい
江戸時代の人々は、女性でも一日に30~40㎞を歩いていたという話がある。なかでも飛脚は、江戸から京都で最短3日で移動したという。現代のような交通手段がなかった時代に、なぜそんな長距離移動ができたのか──その謎に真正面から挑み、長年をかけて再現したのが、「江戸走り研究家」を名乗る大場克則氏だ。研究成果を紹介する動画が、’24年末にインスタグラムで100万回再生されたことをきっかけに大バズりし、若者を中心にマネする人も続出。今や月に数十件の取材を受ける「時の人」に。そんな彼に、研究の発端からプライベートまで聞いてみた。
──以前は普通のサラリーマンだったそうですね。
大場:はい。毎日自宅と会社を往復するだけの毎日でした。
──それはそれで鬱々としそうですね。気分転換やストレス解消法などはありましたか?
大場:ある日、いつにも増してクサクサしていて、その気分を家庭に持ち込みたくないという思いから、試しに1駅分歩いてみたんです。距離にして5㎞くらいかな。そうしたらなんとなく気分がよくなったので2駅、3駅と距離を延ばしていったんです。時間がかかりすぎてしまうので、そのうち走るようになって、その延長でマラソンにも参加するようになったんです。
――学生時代にスポーツなどをやられていたんですか?
大場:いえ、中学ではバイオリン、高校ではオーケストラ、大学では演劇部に所属していたので、スポーツとは無縁の人生でした。でも走り始めたら面白くて、フルマラソンはもちろん、最終的には(※1)100㎞マラソン大会に出場しました(笑)。結局、膝を痛めてリタイアせざるを得なくなってしまって。でも、その経験が「江戸走り」を研究するきっかけになったんです。
――研究までの経緯は?
大場:最初はランニング講座や教室を転々としていたのですが、どうもピンとこないんですよね。そんな中で、たまたま古武術の本に出合い、「江戸時代の飛脚や武士が100㎞や160㎞走っていた」なんてお話を読んじゃいまして。こりゃ面白いぞ、ちょっと探ってみようということで、国会図書館通いが始まりました。
◆古文書と格闘して、つかんだ歩き方とは
――サラリーマンをしながら11年間研究を続けたとか。大場:はい。毎週末、国会図書館に通っていた時期もありましたが、さすがに古文書はそのまま読めないので、通常の活字になっている本を探して読み漁っていました。でも、かなり難しくて。そもそも江戸時代の「普通の歩き方」がわからないんですよ。そこが難関で、研究が何度も止まってしまいました。

大場:そこで、おそらく極端にデフォルメされていないであろう浮世絵や、当時来日していた外国人の本国への報告書的なものに目を通してみたんです。すると、ある外国人は「日本人は変な立ち方、変な歩き方をしている」と書いていた。そしてあの小泉八雲さんの「日本人はつま先で歩いている」という記述も突破口になりましたね。
――それだけでは実際の歩き方や走り方はわからないのでは?
大場:今のように動画などありませんからね。でも昭和30年代くらいの文献にあった「(※2)神足歩行術」や「(※3)裸足ランニング」「(※4)らせん流」といった知識をつなぎ合わせていったら、やっと「江戸走り」の輪郭が見えてきた。11年かかりましたけどね。
――“江戸走り”のポイントは?
大場:「二足歩行で得た重心を利用して、体が前に倒れる力を筋肉で止めずに歩く」。そうすると、筋肉を使わないので走っても疲れにくいんですよ。

大場:大前提にあるのは「靴」の違いだと思います。西洋で生まれた靴を履くと、かかとから着地する歩き方になりますが、かつての日本人が履いていた「わらじ」や「雪駄」「下駄」だと、足指の付け根が自由に動く構造なので「つま先」で歩いていたわけです。だから私も普段、足指が自由に動く足袋タイプの靴を愛用しています。厚底靴では無理ですね。スニーカーも難しいですが、足底がかなり薄いものならできるかもしれません。
――普段から江戸走りを実践されているのですか?
大場:もちろんです。江戸走りをするようになってから「街歩き」が楽しくなって、先日も東京の広尾から銀座までつい歩いちゃいました。膝への衝撃が少ないので、100㎞マラソンに再挑戦して無事完走することもできました。でも飛脚のように一日160㎞走るというのは、まだまだ……。一度、横浜で飲み会を企画して、自宅から100㎞の道程を歩いていったんですが……朝5時に出発して到着したのは夜9時過ぎ。ヘロヘロになって、お酒を飲むどころじゃありませんでした(笑)。
――現在は江戸走りの講師をされていますね。
大場:一昨年に定年退職後、再雇用で働いていたのですが、親の年も年なので、一緒に過ごす時間を確保するために去年に退職しました。講師を始めたのは、その後ですね。

