「ユースヘルスケア」を提供する場は不足している
――日本での「ユースヘルスケア」の普及状況はいかがでしょうか。
染矢:残念ながら、まだ十分ではありません。「ユースヘルスケア」の核となる包括的性教育も社会に浸透していないのが現状です。
もともと日本には、「性のことを公に話すのは恥ずかしいこと」「家族であっても性のことは隠すべき」という文化的な価値観が存在します。さらに、かつて性教育へのバッシングが起こったこともあり、学校で詳しい性教育を行うことが難しくなってしまったんです。
しかし、「性について若者に教えないよりも、きちんと教えた方が慎重な判断ができ、健康面のリスクが下がる」ということが専門家による研究でも分かっています。科学的な研究に基づく知見を、政策や社会制度にも反映していく重要性を感じます。
――近年、性教育の一種である「プレコンセプションケア」が推進されています。包括的性教育とはどう違うのでしょうか。
染矢:「プレコンセプションケア」とは、WHOの定義では、「妊娠前の女性やカップルを対象に生物医学的、行動学的、社会的な健康介入を提供すること」で、この中には包括的性教育や、産む・産まないを自分で選べること、メンタルヘルスなど多様な支援を含みます。
一方で、日本の施策としては「将来の妊娠のために正しい性知識を身につけ、適切な年齢で子どもを産める健康な体をつくることを目指す」という本来の意味とは異なる考え方になりがちです。こうなってしまうと、包括的性教育とは向いている方向が異なります。
包括的性教育では、本人の望む生き方や人権を尊重することが前提となってきます。つまり、「産む」だけでなく「産まない」選択肢が当然に存在します。ただ、今の社会ではこの考え方をあまり尊重されていない印象を受けます。
「大人の言うことに従うべき」という価値観が根強く残る日本では、子どもの主体的な選択が軽視されたり、性に関する知識を学んだりすることに否定的な傾向があります。
一方で、性感染症(※)や予期せぬ妊娠を経験した若者には問題があるとされ、「だらしがない」「ダメな子だ」とレッテルを貼られ、本人の自己責任としてしまうことが多いですよね。実際には、自分の身を守るための知識がなかったり、パートナーが避妊の責任を負わなかったり、恋愛関係にしか居場所を見出せなかったりといった、さまざまな事情があるはずです。
「若者の問題」とされていることが本当に若者だけの問題なのかを、大人が問い直していく必要があると思います。また、ケアが必要な状況にありながら、「自分が間違えてしまったから我慢するべきだ」「恥ずかしいから」とケアにつながるのをためらう風潮も変えていく必要があります。
- ※ 「性感染症」とは、性的な接触を介して感染する可能性がある感染症のこと

匿名のチャットで相談できる窓口「しなわかチャット」
――染矢さんが運営するピルコンは、主にどのような活動に取り組んでいますか。
染矢:中学校や高校からの依頼を受けて、年間120回ほど学生向けの性教育講演を行っています。大人が上から教えるのではなく、歳の近い人同士で知識を共有し合って一緒に考えられるよう、講師は20代のメンバーが中心です。
「バウンダリー意識」が希薄だったり、ジェンダーバイアス(※1)があったりすると、他者と健全な関係を築きにくいため、「性的同意(※2)」や「デートDV(※3)」などのテーマも扱います。中高生からも「知ることができて良かった」と言ってもらえることが多いですね。
- ※ 1.「ジェンダーバイアス」とは、性別の違いによって特定の役割や行動などに思い込みや偏見を無意識に持つことや、そのために社会的な評価や扱いが差別的になること
- ※ 2.「性的同意」とは、性的な行為に対して、その行為を積極的にしたいと望むお互いの意思を確認すること。性的な行為への参加には、お互いの「したい」という明確で積極的な意思表示があることが大切
- ※ 3.「デートDV」とは、カップル間で起こる暴力のこと。「愛しているなら、相手が自分の思いどおりになるのが当然」と考え、コントロールしようとする態度や行動のこと
――2025年1月からは、10代向けの心と体の相談窓口「しなわかチャット」を運営していますよね。どんなサービスでしょうか。
染矢:オンラインチャットで匿名相談を受けつける他、月に1回、品川区内の施設で対面の相談会を実施しています。利用できるのは品川区在住・在学の中学生から19歳までの人としていますが、時には小学生から相談が寄せられることもあります。これまでにおよそ200件の相談がありました。
――利用者はどんな経路からアクセスするのでしょうか。
染矢:品川区の学校に通う小中学生はタブレット端末を貸与されるのですが、そこに入っているアプリから相談につながる子が多いですね。相談内容は、家庭や学校での悩み、心や体の悩みの他、「なんとなく生きづらい」というものも少なくありません。そうした声に寄り添い、その子自身の力を認めながら、できることを一緒に考えています。
ただ、関わりは情報を提供するところで終わりがちです。また、チャット相談はプライバシーが保てて気軽に利用できる一方で、自分の困り事や気持ちを文字にしなければならないのが難点です。言語化が苦手な子だと、うまくコミュニケーションが取れず、途中で離脱してしまうこともあります。
そうした課題を解決するため、今後は対面で相談できる機会を広げていきたいと考えています。チャット相談から得られた貴重な声を政策に活かすサポートもしていきたいですね。
――相談を受けるに際に心がけていることはありますか。
染矢:本人の意思や思いに対して、否定やジャッジをせず、ありのままに受け止めるように心がけています。そして、本人が守られる権利があることを伝え、必要な情報提供や主体的に選択できるようサポートしていきます。
こうした姿勢で相談に乗ることで、再び頼ってくれやすくもなるんです。孤独に困り事を抱え込んでいた子が、自ら相談できるようになるのは、とても大きな前進です。
