
◆「ちょっと、その荷物どかしてくれない?」
発車してしばらく経った頃、近藤さんは斜め前の窓側席に座る妊婦の女性に気がついた。「30代前半ほどの女性は、マタニティマークの付いたバッグを膝に抱え、時折ゆっくりと体勢を変えながら座っていました。足元にはバッグがもう1つ、座席の前に収まるように置かれていましたが、長時間の移動は楽ではなさそうでしたね」
静かな車内の空気を破るように、突然の声が響いたという。
「ちょっと、その荷物どかしてくれない?」
通路側に立っていた中年男性が、妊婦の女性に向かって強めの口調で言ったそうだ。
「妊婦の女性は驚いたように顔を上げ、小さく頭を下げました。どうやら男性は、通路を行き来する際に彼女の足元の荷物が少し外にはみ出ているのが気になる様子でした」
◆「だからさ、邪魔なんだよね」
女性は前かがみになって荷物を持ち上げようとするが、大きなお腹がつかえてうまく動けない。ゆっくりと体をひねりながら動かそうとする姿を見ても、男性の苛立ちは収まらなかったそうだ。「だからさ、邪魔なんだよね。通りにくいでしょ」
その言葉に、車内の空気が一気に張りつめた。近くの乗客たちも顔を上げ、状況をうかがっている。女性は「申し訳ありません」と繰り返しながら何とか足元を整理しようとするが、体勢がツラそうで、動きはどうしてもゆっくりになる。
「男性はそれを見ながらも小さく舌打ちして、『最初から気をつけといてよ』と吐き捨てるように言ったんです」

