離婚の話し合い中の夫婦と、妻の愛する男が、午前3時のホテルのスイートルームに揃ってしまった夜

離婚の話し合い中の夫婦と、妻の愛する男が、午前3時のホテルのスイートルームに揃ってしまった夜

港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。

女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。

タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。

▶前回:深夜3時、妻の出張先ホテルに突然現れた夫。差し入れ目的だというが、本音は…

離婚の危機にある夫と妻、その妻の不倫相手がホテルのスイートルームで一堂に会しているというまさに映画的な状況を自嘲しながらも、崇は自分を見上げる妻への笑顔は崩さなかった。

「何しに、来たの?」

はじめこそ驚きだったその表情が、焦りや気まずさに、ではなく微かな苛立ちへと変わったことがキョウコらしい。執筆を邪魔されたせいなのだろうと思いながら、崇は気づかぬふりをした。

「こんな時間に、とも思ったんだけど、宮本くんから1話がいい感じに仕上がったって聞いたからさ。2話もそろそろまとまりそうなんでしょ?だったら、オレがこっちに来て読んだ方が早いかなって」

そもそもこの脚本合宿は、ドラマの第1話の脚本を完成させ、明日の朝…といってももう数時間後だが、午前8時までに監督である崇に送るためのものだった。だが、2人の筆が思ったよりも進み、第2話も一緒に送れそうだという状況だった。

「どうせあと5時間くらいで読めたのに、待てなかったの?」
「待てなかったね。楽しみで」

全く悪びれる様子のない崇に、キョウコが小さく溜息をつくと、プロデューサーの宮本が「確かに、今監督の意見を聞いた方が、明日朝送ってからリテイクになるよりも、効率はいいんじゃないですかね」と、キョウコと崇の方に近づいてきた。

キョウコはもう一度溜息をつき、崇を睨んだ。おそらくもう一考したかったという不満の訴えだろうが、諦めたように「プリントアウトする?」と聞いた。

「いや、タブレットで読むから大丈夫」
「あ、じゃあオレがPDFに変換して、監督に送りますよ」

リビングの端から声を張った大輝に礼を言いながら歩き出した崇は、大輝が背もたれにしているコーナーソファーの、少し離れた一角に陣取った。床に座り込んで作業に没頭する大輝を見下ろすように視界の端に捉えながら、バックパックからタブレットを取り出す。

「1話目が友坂くんで、2話目がキョウちゃん…あ、キョウコの担当なんだよね?1話目は男性目線だけの予定だっけ?」

妻をいつも通りにキョウちゃんと呼ぶことが、この場ではなんとなくふさわしくない気がして言い直したけれど、大輝は特に反応することなく、そのつもりだったんですけど、と崇を振り返った。

「1話のラストで、女性目線に変わった方が面白いかもねってさっきキョウコ先生と話しまして。最後の5分尺くらいのパートは、キョウコ先生が書かれてます」
「なるほど。1話目から――キョウコとの共同作業なわけだ」

大輝が「光栄です」と微笑んだ。今日もとびきりの美青年の笑顔が、徹夜が続いているせいか、どこか気だるげに陰り憂いを帯びている。美に免疫のない人なら男女問わず、その色気におののいてしまうだろうが、崇は違う。

― 寧ろ、好都合だ。

国宝級イケメン、100年に一度の美女。仰々しくも儚く移ろいやすいタイトルを持つ人々と長く仕事を続けてきた崇は、世でいう“特級の美”には慣れたもので、彼らの弱点も知り尽くしている。

その“特級の美”の中でも最高ランクに位置していながら、そのルックスを武器にする仕事を選ぶことなど考えたことすらないという大輝をイヤミな男だとは感じても、崇は引け目を感じたりはしなかった。


キョウコを取り戻すべく、崇は探偵を使い大輝のことを調べ上げていた。ビジュアルだけではなく、そのプロフィールも圧倒的で、日本有数の名家の血筋であり、日本経済を動かす実業家の一人息子だということを知った。

幼稚舎から一貫の私立大学を優秀な成績で卒業しているが、就職活動はせず脚本家の道を選んだ。恵まれ過ぎたお坊ちゃまによくある、自分が何者かを自分の力で証明したいとでも思ったのかもしれないが、この業界で生き残るには、そんな青臭い動機だけでは無理だ。

― でもまあ…それなりに認められるところまできた、その努力は認めるけど。

大輝はデビュー作品から3作目で、地方の映画祭で脚本賞を獲った。さらに最近企画した深夜ドラマは、SNSで切り抜き動画がバズり、異例のヒット。大輝のオリジナル脚本のラブコメで、その視点が気に入ったプロデューサーの宮本が大輝にオファーを…という流れを、大輝も、そしてキョウコも聞かされているはず、だが。

― わざわざ抜擢したんだから、楽しませてもらわないと。

今回、大輝を選んだのは…実は、崇だ。宮本は最初に崇に話しに来た。世界に配信する“ジャパニーズ・ラブストーリー”の監督をお願いしたい、できれば脚本はキョウコ先生で…と。その時に崇は、キョウコとは別に、男性作家を入れるのはどうかと提案し、大輝を推薦したのだ。

キョウコの感性とは真逆に位置するような大輝の作風に可能性を感じる。彼とキョウコと1話ずつ、まるでラブレターの交換のように掛け合いで書いてもらえば、きっと面白くなるはずだ…と、崇は提案した。すると宮本も。

「男性作家が年下というのも良さそうですよね。友坂くんは劇的なモテまくり人生だろうから、恋愛の引き出しも沢山ありそうだもんなぁ。僕も友坂くんの書く作品って、まだまだ粗いと思うところもあるけど、気になってたんですよね。うん、いい化学変化が起きそうだ」

活き活きと、すぐに乗り気になったが、ふと気遣いの顔になり、言った。

「最愛の奥さんが男性作家…しかも友坂くんみたいに超ド級のイケメンとラブレター交換する的なことを提案できちゃうなんて、崇監督、流石ですね。仕事とはいえ、オレだったら無理だなぁ~。だって脚本家って、作品に自分を投入しちゃいがちじゃないですか。

ドラマを10話書いているうちに、もしかしたら…本当に2人の間に間違いが起っちゃうかも、って心配になったりしないんですか?」

崇は、笑った。

「っていうか、それくらいのめり込んでくれないと作品としてはつまらないだろ。あれ、本気で恋に落ちた?って、オレが疑うくらいの物語を紡いでくれないと、監督としては書き直してもらいたいくらいだけどね」

ひぇ~余裕、さすがっす!と尊敬で目を輝かせた宮本に、崇は、自分が大輝を推薦したということは伝えずにキョウコと大輝にオファーを出して欲しいと伝えた。

「ラブレターの交換相手を、オレが決めたっていうの、ちょっと気まずいし、知らない方がキョウコも変に気を遣わずに済むと思うから」

「確かに!」と宮本は納得し、キョウコと大輝の了承も勝ち取ってきた。宮本が人を口説き落とす能力が高いことは知っていたが。

― こんなにも、狙い通りになるとは。

2人のラブストーリーの結末を自分が握る。崇は含んだ笑みに気づかれぬように、妻が恋した男が書いた脚本に意識を戻した。

ドラマの1話目、冒頭は大輝が担当した。真面目で穏やかな40歳の会社員が、大学時代から付き合ってきた妻に離婚を切り出されるところから始まる。結婚して10年。出世に絡む派手な仕事は他人に譲り、地味な作業をコツコツと引き受け、困った人を放っておけない、心底お人よしな男性。自分に何か悪い所があったのかと問うが、妻は理由を言わず、ただ申し訳ないとだけ。

ショックのあまり強く追及することもできないまま、迫る出勤時間。その日は会社で大事な会議があり遅刻することはできない。男性は帰ってきてから話そうと家を出る。


しかし仕事を終え、急いで帰宅した時にはすでに妻は姿を消していた。男性は呆然となりながらも、必死に妻の姿と、離婚理由を探し始める。

そして妻を探しているうちに迷い込んだ夜の街で、ひょんなことから、パパ活をしている18歳の女の子と出会う。逃げられた妻を探すのに協力する、でもその代わりに私のお願いも聞いて欲しい…と交換条件を出されるが、実はこの女の子が、主人公の男性に声をかけたのには、あるわけがあった。この出会いにより男性は、これまで知る由もなかった東京のきらびやかさと闇に足を踏み入れることになる、という余韻で、第1話目は終わる。

全体の構成、各キャラクター設定などの大枠は、2人の脚本家だけではなく、崇やプロデューサーの宮本も含め、チームで意見を出し合い決めたものだ。

男性目線のパートは大輝、女性目線はキョウコが書く。それは取り決めでもあったけれど、その事を知らなくても、崇にはどこをどちらが書いたものか、すぐに分かっただろう。その理由は。

「正直、な感想を言ってもいいですか?」

1話と2話を読み終えた崇に、大輝が勿論です、と姿勢を正した。

「友坂くんの物語は、非常に表面的だ。読んでいても驚きがないというか、どんな映像にしようかというワクワク感が生まれない。確かに文章はうまいし、小技のテクニックは面白いところもあるよ。でも、登場人物の動きが段取りくさいし、何より一番大切な…キャラクターに息を吹き込めていない。

キョウコが書いた部分との落差がありすぎて、2人の物語が一体化しているとは思えない。宮本くん、君はオレに、2人の相性がいいと言った。けれどこのレベルで満足するようじゃ、君のプロデューサーとしての能力も、オレは甘いと言わざるを得ないけど」

「そうでしょうか…僕は、その、良い脚本(ほん)になってきたと…」

口にしたものの続かず、口ごもってしまった宮本の後を引き受けたのは、キョウコだった。

「私は監督がおっしゃるほど、辛辣な評価を受けるものだとは思いません。友坂くんが作ったキャラクターは興味深いし、彼のセリフとト書きにインスパイアされたからこそ、思いつけたシーンもあるんです。何より彼の文章は…」
「確かに、文章はうまいよ。でも、これは小説ではない。脚本だろ?どれだけ文字面が美しくても、映像が浮かんでこない言葉には意味がない。友坂くんは自分の文章力に酔ってるだけなんじゃないのか?そんなことはキョウコ、君が一番わかってると思っていたけど」

君らしくない判断だね、と言葉を足した崇に、キョウコが黙った。反論を考えているというよりは、崇の指摘を反芻しているのだろう。やみくもに自分の意志を押し通さず、他人の意見にもきちんと耳を傾ける。それがキョウコの人としての魅力であり、脚本家としての才能でもあると改めて思いながら崇は続けた。

「友坂くん、君自身は…オレの意見をどう感じた?」

穏やかに微笑んだ崇を真っすぐに、その美しい瞳で見つめ返した大輝は、しばらくの間ののち、言った。



ただいま、と呟いたけれど返事がない。日の傾きかけた午後5時。すでにともみはいないのか…と大輝がリビングのソファーに倒れ込んだ時、バタバタと小気味のいい足音が聞こえてきた。

「よかった、出る前に会えた。うわ、大丈夫?顔色悪いよ」

出勤スタイルで寝室から出てきたともみが、あおむけの大輝を覗き込む。その心配そうな顔に力なく微笑みを返すと、大輝は両手を大きく広げ、グイっとともみを引き込んだ。


きゃっ、と小さな声を上げた心地よい重みが倒れ込んでくる。ぎゅっときつく抱きしめると、何かあった?というささやきが大輝の胸に直接響いた。

「何にもない」
「うそ、あったでしょ?」

大丈夫、徹夜で疲れただけだよと、返し、その肩に顔をうずめた大輝は、ともみのいつものヘアオイル…ほのかなラベンダーとゼラニウムの香りに、ホッとした。

「ごめん、出勤前に。もう時間だよね、いってらっしゃい」

抱きかかえていた腕を解くと、ともみは名残惜しそうに起き上がりながら眉根を寄せた。

「ほんとに…大丈夫?少し、出勤時間遅らせようか?」

大輝が、もう眠るから大丈夫、と微笑むと、なんかあったらすぐ連絡してね、とともみは何度も振り返りながら出て行った。愛おしいな、と胸を温かくしながら見送ったあと、ベッドに行く気にならず、もう一度ソファーに寝転んで瞼をきつく閉じた。

― 悔しいな。

崇は痛烈な批判をしただけではなく、大輝の脚本の、どこに、どのような厚みが足りないのかを、細かく具体的に指摘していった。その度に大輝は、ぐうの音もでず、いちいち最もだと気づかされることになった。

指示を残した崇がホテルを後にしたのは、午前6時過ぎ。そこから大輝は作業を続けたが、当然午前8時の締め切りには間に合わず、先ほどまでホテルステイを延長して書き続け、ようやく崇のOKをもらった時には、これまで積み上げてきた脚本家としての自信は、粉々にされた気分だった。

それでも、崇の指摘を受け修正した脚本の方が、段違いによくなっている。それは大輝だけでなく、宮本も、そしてキョウコも、認めざるを得なかった。

「目に見える、聞こえる、そんな事象だけが全てじゃないだろ?人には言葉にできない、行動にも表せない感情がある。それを探し出して浮き上がらせて、見てくれる人達の胸に響く形に…映像にしていくための言葉や文章が――脚本なんだよ」

崇の言葉を思い出し、ギュッと目を閉じる。世界的なヒットメーカー、門倉崇への圧倒的な敗北感に、大輝は文字通り、打ちのめされていた。


▶前回:深夜3時、妻の出張先ホテルに突然現れた夫。差し入れ目的だというが、本音は…

▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱

▶NEXT:3月3日 火曜更新予定

配信元: 東京カレンダー

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