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「肌が黒いコンプレックスが自信に変わった」ギャル男会社員が振り返る、令和の時代に足りないもの

「肌が黒いコンプレックスが自信に変わった」ギャル男会社員が振り返る、令和の時代に足りないもの

若い世代を中心に、「平成レトロブーム」が巻き起こっている。どこか懐かしく、温かみのある雰囲気が、若い世代にとっては新鮮な魅力として映っているのだ。

阿部孝裕
studio15社長室 マーケティング/広報担当 兼 セールスの阿部 孝裕さん
こうしたなか、平成カルチャーにどっぷり浸かり、今もなおその影響を受け続けている人が、studio15株式会社の阿部 孝裕さん。見た目が、思いっきりギャル男!彼は何者なのか……。

元ビジュアル系バンドマン、そこからGoogleの広告営業を経て、現在は“ギャル男マーケター”として奮闘している。

平成カルチャーで思い出に残っていることや、あの頃と今で異なる世相について阿部さんに語ってもらった。

◆中学時代は丸刈り、「黒夢」に憧れて音楽の道へ

阿部 孝裕
阿部さんは、日本のホラー映画『犬鳴村』の舞台となった福岡県久山町の出身。幼少期は自然に囲まれた生活を送ってきたという。

「中学生の頃は、今ではあまり見かけなくなった校則があって、男子は丸刈りにしなければならなかったんです。先生が指を髪に差し入れて、少しでも長ければ違反とされるほど厳しいものでした。そういう決まりが嫌だったんだと思いますが、特にやさぐれることもなく、普通に学校生活を送っていました」(阿部さん、以下同)

そんななか、転機になったのが高校生の頃だという。

1990年代中盤の頃、音楽番組「ミュージックステーション」にヴィジュアル系バンドの「黒夢」が出演し、その独特のかっこよさに魅了されたそうだ。

「化粧をして、髪を金色に染め上げた黒夢のスタイルは本当に衝撃的で、音楽をやってみたいと思った思った瞬間でした。音楽をやるためにバスケットボール部を1年生の夏合宿後に退部してアルバイトを始めました。その時は何も楽器が弾けなかったんですが、その頃に発売されていた小室哲哉さんプロデュースのシンセサイザーが、“ピアノを弾けなくても作曲できる”という触れ込みだったので、これなら自分にもできるかもと思ったんです」

そのシンセサイザーは値段が約18万円と高額だったため、阿部さんは高校3年生までアルバイトでコツコツ貯めて、ようやく購入したという。

その後、音響の専門学校に進学すると、同級生に誘われて「プロトタイプ」という名前のバンドを結成。音楽活動をスタートさせることに。しかも、コピーバンドではなく最初からオリジナル曲に挑戦していたため、自分ができる範囲でキーボードを使い、アレンジ・演奏を担当していたとのこと。それが途中から「ギターのほうがかっこいい」と感じるようになり、ギターへ転向したという。

◆上下関係の厳しいヴィジュアル系バンドの世界

しかし、活動開始から1〜2年ほどでボーカルが体調を崩し、バンドは一度解散することになってしまう。そんななか、タイミングよく東京でライブをしていた同世代のバンドマンから声をかけられ、新たにバンドを組むことになったものの、メンバーとの折り合いがつかずに脱退を申し出たところ、その話が先輩たちにも広まってしまったという。

「その当時の福岡のヴィジュアル系バンドは厳しい上下関係が残っていて、ライブ後に先輩から呼び出しを食らいました。その結果、しばらくバンド活動ができなくなってしまったんです」

ヴィジュアル系バンド
ヴィジュアル系バンド「プロトタイプ」で音楽活動に励む阿部さん(写真右、本人提供)
こうしたなか、プロトタイプのボーカルが病みから復活し、バンド活動を再開させるために、阿部さんはライブハウスに顔が利くCDショップの店長を味方につけ、先輩バンドマンから咎められないように画策することに成功。

プロトタイプ復活後は、店長のサポートもあって、全国的に有名なビジュアル系バンドが福岡のライブに来る際、対バンに呼んでもらえる機会も増え、徐々に知名度を得ていく。その結果、福岡のビジュアル系シーンでは最大規模の200〜300人収容のライブハウスを満員にできるほど集客力のあるバンドへ成長したという。


配信元: 日刊SPA!

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