◆上京を機に“ギャル男文化”を知り、コンプレックスが自信に
その勢いのまま、2005年には思い切って上京し、バンド活動を本格化させた。実は東京へ拠点を移したことで、阿部さんの“コンプレックス”が逆に個性として認められるきっかけになった。「自分はもともと肌が黒いことにコンプレックスを感じていたのもあって、白い肌が主流の世界に憧れてヴィジュアル系バンドをやっていました。ただ、どうしても自分だけ地黒なのがずっと気になっていたんです。それが東京に出てきた途端、周囲から『すごくかっこいいですね』と言われるようになりました。
というのも、ちょうど2005年頃は“ギャル男文化”が全盛期で、ファッションも“アメカジ”が流行っていたりと、自分の見た目がむしろ好意的に受け止められたんです。福岡にはそのようなギャル男文化がなかったので、その違いにはとても驚きましたし、素直に嬉しかったですね」
生活費はコンビニで毎日12時間ほど働きながら工面し、その合間に練習とライブ活動をこなしていた阿部さんだったが、とにかくお金がなくて苦労したそうだ。

◆モチベーションの源泉は「渋谷のクラブ」にあった

そう思った阿部さんは、正社員として東京で働くことを決意。そこからいろんなバイトをやったなかで、髪型やスケジュールも自由なのがコールセンターの業務だった。
最初はクレーム対応から始め、次第にテレアポもするようになったというが、ある時にGoogleの広告営業をする機会が訪れた。
Googleがまだ渋谷のセルリアンタワーに本社を構えていた頃、阿部さんは新宿の別の拠点で電話営業をしていた。その後、程なくして六本木ヒルズに本社移転するタイミングで、コールセンター部隊も六本木勤務になったという。
「当時の自分はパソコンも持っていませんでしたし、Google自体もほとんど使ったことがなく、正直よく分からないままの状態でした。
最初は電話で広告アカウントを開設してもらうまでが営業の仕事でしたが、途中から高いハードルの目標が設定されるようになりました。カニの通販やスキーツアー、年賀状など季節商品を扱う企業に電話営業していたのを覚えています」

そんななか、大変な仕事でも続けるための原動力になったのが渋谷のクラブに行くことだった。クラブが好きになったのは、ギャル男ブームを牽引した男性ファッション誌『men’s egg』が定期的に開催していたクラブイベント「メンズエッグナイト」に参加してから。
渋谷のアトムをはじめ、キャメロット、エイジア、ブエノスなど、週末にはほぼ毎週クラブへ通っていたという。
「2010年代のクラブは、今のフェスのように熱気があって、とても刺激的で面白い日々でした。特にDJの☆Taku Takahashiさんが好きで、彼が出演するイベントにはよく足を運んでいました。クラブが本当に好きだったので、チームのメンバーがモチベーションを落としている時には『大音量の音楽を聴けば元気になるから行こう!』と声をかけて、半ば強引にクラブに連れ出すこともあったほどです」

