さまざまな業界の裏話・苦労話を軽妙につづる三五館シンシャの『職業日記シリーズ』。出版不況が叫ばれて久しい中、第一弾がヒットする絶好の滑り出しから快走を続け、約7年で取り上げた業種は26、積みあがった累計は80万部を超える。
暴露や告発本のようなおどろおどろしさはないが、元従業員が赤裸々に現役時代を振り返る内容は、知らない業界の裏側を覗き見た気分になる。
多種多様な元業界人を集め、共同作業でヒット作にまとめ上げ続ける編集の裏側はどうなっているのか。全シリーズを手掛け、社長であり、唯一の社員でもある同社・中野長武氏に聞いた。
第一弾は70代警備員の持ち込み企画から
『交通誘導員ヨレヨレ日記』『派遣添乗員ヘトヘト日記』『素人校長ばたばた日記』『非正規介護職員ヨボヨボ日記』『保育士よちよち日記』…。
職業名に、「んっ」と目が留まるオノマトペを掛け合わせたタイトルは、表紙のユニークなイラストも相まって、思わず手に取りたくなる衝動に駆られる。
いまとなっては紛れもないヒットシリーズであり、一つの形が確立されているが、第一弾『交通誘導員ヨレヨレ日記』は、かつて編集プロダクションを経営していた柏耕一氏からの持ち込み企画だった。
70歳を過ぎて交通誘導員となった柏氏は、その現場の悲哀を綴った原稿を数社に送る。ところが、ことごとくボツに。主人公は70代の交通誘導員。地味で派手さなどみじんもないテーマに、編集者の嗅覚も反応しなかったのだろう。
唯一反応したのが中野氏だった。
「一見すると、単なる業界話を超えた面白さと人間臭さがある。ただ、用語は『わかりにくい』部分があり、そこがネックでした。スッと頭に入ってきませんから。 そこで用語には『注釈』を入れるというスタイルを採用。単なる用語解説に留まらず、本文に使えない小ネタや愚痴も注釈として大量に盛り込み、読み応えと面白さを増せるよう工夫しました。
さらに、『ヨレヨレ』という言葉に加えて、『本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます』といった具体的なサブタイトルを添えることで、高齢労働者のリアリティを強調しました。 折しも『老後2000万円問題』が話題となった時期とも重なり、初版4000部からスタートした『交通誘導員ヨレヨレ日記』は7万6000部を超えるヒットになりました」
タイトルに擬態語「ヨレヨレ」を付けるのは柏氏のアイデアで、独特のイラストも同氏のつてからだったが、この本がヒットしたことで、次回作以降でも採用され、早くもこの時点で独特の日記シリーズの原型は出来上がった。
なによりの副産物は、同書を見た人から「私も書きたい」という持ち込みが殺到したことだ。続編の派遣添乗員、メーター検針員と続き、以降も売り込みは絶えることはなく、いまでは次回5作先の分まで著者が決まっている「モテモテ状態」という。
100%「持ち込み」と非情な編集スタンスが生み出す、泥臭さ
快調な滑り出しから早7年。中野氏は現在、年間6、7冊のペースで出版を続ける。
さぞかし疲労が蓄積していると思いきや、中野氏はさしづめ「ギンギラ編集者」といえるほど、パワフルでエネルギッシュだ。編集者にありがちな業務に埋もれるような働き方はせず、10時スタートで18時には仕事を終える働き方を徹底している。
なぜそんなペースで年間7冊も出し続けられるのか。
「基本的には、この日記シリーズの制作に注力していて、しかも私一人で運営しています。物理的に大変な側面があるにしても、意思決定のすべてを自分一人で完結できることが最大の効率化になっていると思っています。
すべて自分で決められるから基本即レスですし、複数並行で回す時もありますが、その時は著者とのやりとりを調整して、無駄な時間が発生しないよう工夫しています。なにより、一人の最大のメリットはストレスがゼロということでしょうね」
職業日記になぞらえるなら、『一人編集長ギンギラ日記』、サブタイトル『ワンルームのミニオフィスで一人編集者がサクサク8時間ワーク』にでもなりそうだが、「苦労はない」と言い切る中野氏のワークスタイルは、出版しても“番外編”の扱いになりそうだ。
人気の弊害?「パクリ」の被害者になったことも
快調ゆえだろう。実は日記シリーズは「パクリ被害」にあっている。
ヒット連発で、書店に行けば、「職業+擬態語+日記」のタイトルで、独特のイラストが表紙の同シリーズを目にすることも珍しくない。ネタに行き詰った編集者がつい魔が差してしまったのか、バレないだろうと思ったのか…。
3つの出版社から明らかに模倣本(パクリ)が出回るようになる。中野氏はこれに対し、断固たる措置を取った。
A社に対しては内容証明を送付し、重版中止やメディア露出禁止などの条件で合意。B社に対しても同様の対応で、合意した。
「A社・B社にはどこかに後ろめたさがあったんでしょうね。明らかに模倣していましたから。こちらが断固たる姿勢を示すと、比較的あっさりとこちらの案を飲んでくれました。ただ、残りの一社は…」
どう見ても模倣していたが、C社だけはかたくなにパクリを否定。結局、合意には至らず裁判(※)へ。そこでも一審・二審・最高裁まで争ったが、最終的に中野氏側の主張は受け入れられなかった。「シリーズの周知性が足りない(世間の認知度が低い)」というのがおもな理由だった。
※裁判は不正競争防止法違反で争われた。同法は事業者間の公正な競争を守るため、他人の営業秘密の侵害、模倣品販売、混同惹起など「不正な行為」を規制する。
「こうなったら裁判所に認められるまで周知性を高めてやろうと決意しています。あれからさらに周知性が高まっているはずなので、模倣本があれば、ぜひまた裁判したいと思っています」と中野氏は落ち込むどころか意気軒高だ。
「マネをされるようになれば本物の証」といわれる。その意味で、この時の“2勝”は、職業シリーズの人気が結果的に本物であることを証明したともいえるが、今度は逆に出版物の内容に「物言い」をつけられる事態が起こる。(後編へ続く)
◆中野長武〔なかのおさむ〕
1976年東京都生まれ。中央大卒。2000年に三五館に入社。編集者として働いたのち、17年に三五館の倒産にともない『三五館シンシャ』を設立。以降、「人を雇うと人間関係のストレスが生まれる」ため一人で本をつくり続ける。オフィスは本の街、千代田区神田神保町にほど近い場所に構える。

