高市政権が「先送りできない課題」とする皇位継承問題!早急でも「安易に」考えてはいけない理由/倉山満

高市政権が「先送りできない課題」とする皇位継承問題!早急でも「安易に」考えてはいけない理由/倉山満

◆女系にすれば続くという幻想

蘇我藤原の時代以来、如何なる権力者も、パンピーの男は一人も皇族になれなかった。女系派は「皇族と結婚したら女は皇族になれるのだから、男もなれない理屈はない」と軽く言ってくれるが、それをやったら日本の歴史の全否定になる。

では、女系天皇制にすれば、続くのか? 絶対に子供が生まれる技術はない。皇室が世襲を前提としている以上、皇位継承は常に不安定なのだ。

今までずっとそうだった。それでも続けてきた。これを続けたいか、続けたくないか。皇室の価値を理解しないで議論しようとするから、政界で相手にされないのである。

証拠を見せよう(※図)。誠仁親王が践祚寸前に急死しなければ、十四世連続父子継承できていた。長い皇室の歴史では、こういうこともあるのだ。この間、後陽成、後水尾、霊元、中御門の各天皇は、それぞれ25、34、32、14人の子宝に恵まれた。

十四世連続父子継承 系図
仮に後陽成天皇の父である誠仁親王が即位していれば、後花園天皇から後桃園天皇まで十四世連続父子継承が続けられていた(図は『噓だらけの日本近世史』31Pより引用)
しかし、桜町天皇から皇位継承は不安定になる。中御門天皇の直系は後桃園天皇で絶え、閑院宮家から東山天皇の曾孫の光格天皇を迎え、皇統は続いた。光格天皇は今の皇室の直系の祖である。その後も皇位の不安定継承が続き、二人以上の男の子が成長できたのは、光格天皇の玄孫の大正天皇まで待たねばならない。

◆歴史が証明する継承の不安定さ

繰り返すが、昔も今も、そして未来でも、絶対に子供が生まれる技術など無い。それでも神武天皇の伝説以来二千六百年以上続いたこの伝統を続けようと、その時代その時代で努力してきた。

側室は幼児死亡率が高い時代の産物にすぎない。多くの子宝に恵まれた時代もあったが、側室が何人いても子どもが生まれない天皇もいた。光格天皇は17人の子供に恵まれたが、20歳まで生きられたのが後継者の仁孝天皇ただ一人。

桜町天皇崩御から大正天皇まで、なんと約二百年間、皇位の継承は不安定であり続けてきたのだ。

その間、「皇室を守りたい」と願う人々が知恵を出し努力し続け、その意思が奇跡のように勝ち続けてきただけである。どこにも皇室が続くなどと言う保証はなかったにも拘わらず。


配信元: 日刊SPA!

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