◆何もされていないのに注意していいのか
「気のせいだろう」美田さんは、そう何度も自分に言い聞かせたという。しかし、同じことが繰り返されるうちに、無意識に体がこわばっていくのを感じた。なんだか怖い……。
「男性は声を出すわけでもなく、触れてくるわけでもない。明確なマナー違反とは言えず、注意する理由も見つからなかったので、私はどうすればいいのかわかりませんでした」
周囲の乗客も特に気づいている様子はなく、車内は終始穏やかだった。それでも美田さんは、本を読むことにも集中できず、スマートフォンを手に取ることさえためらうようになっていた。
「次に動いたら、また見られるかもしれない」
そんな考えが頭から離れず、時間がとてつもなく長く感じられたという。それは、約2時間続いた。
◆最悪の乗車時間
新幹線が到着し、席を立つと、隣の男性は何事もなかったかのように降りていった。外から見れば、何のトラブルもない、ごく普通の乗車時間だったと思われる。しかし、席を立った瞬間、美田さんはどっと疲れが押し寄せてきたと語る。「何もされていないのに、こんなにも精神的に疲れるものなのかって」
その感覚は、今でもはっきりと覚えているという。あの車内は、静かで平和だった。けれど、外からはわからない不快感が、確かに存在していた。
何もされていないという事実と、確かに存在した不快感。その間にはグレーゾーンがある。だからこそ、それは当事者の胸にだけ残り続けるのだ。
<構成・文/藤山ムツキ>
【藤山ムツキ】
編集者・ライター・旅行作家。取材や執筆、原稿整理、コンビニへの買い出しから芸能人のゴーストライターまで、メディアまわりの超“何でも屋”です。著書に『海外アングラ旅行』『実録!いかがわしい経験をしまくってみました』『10ドルの夜景』など。執筆協力に『旅の賢人たちがつくった海外旅行最強ナビ』シリーズほか多数。X(旧Twitter):@gold_gogogo

