思い出と現実の狭間で
叔母が亡くなったあと、姪は何度も家を訪れた。柱を撫で、障子に触れ、庭に立っては思い出が溢れ、涙がこぼれる。
「本当に壊していいのだろうか。残すことが一番の供養なのではないか」
しかし、老朽化は深刻で、防犯や近隣への影響も無視できない。40代の姪には自分の家庭がある。我が子の教育費、夫とともに支払う住宅ローンの支払いで家計は火の車。維持費を負担し続けることは現実的ではなかった。
守りたい気持ちと、手放さねばならない現実の狭間で、深く葛藤した。
解体という決断
最終的に姪は「解体して売却する」という決断を下した。
もちろん、経済的な理由も大きいものだった。通常、相続した不動産を売却する場合、譲渡所得税がかかる。取得費のエビデンスが取れないと売却額の5%しか認められない。5,000万円で売れば1,000万円近い税負担となることもあるが、「空き家の3,000万円控除」を使えば、解体などを条件に大幅に軽減できる。
しかし、姪を動かした本当の理由は税金だけではなかった。
「おばさんの家を、私が責任を持って見送ろう」そう心を決めたとき、彼女は不思議と心が軽くなるのを感じたのだ。
解体は、思い出を壊す行為ではない。むしろ、叔母との大切な記憶を胸に抱きながら、前に進むための「区切り」なのだと。重機が柱を倒すたび、姪は涙を流しながらも、心の中で「ありがとう」とつぶやいた。
