認知症の母につい指示してしまう…脳科学者が実体験した、治療以外に家族ができる大事なこと

認知症の母につい指示してしまう…脳科学者が実体験した、治療以外に家族ができる大事なこと

言葉以外のつながりに気づき、明るくなれた

母が好きな音楽も取り入れました。例えば母が昔から使っていたピアノを知り合いの音楽家に弾いていただくと、普段の会話が難しくなっているのに、昔ながらの発声で歌詞を完璧に歌うのです。集中しているのと同時に、すごく気持ちよさそうに。母の中には音楽のレパートリーもこんなに残っているということにも気付けました。

私も一緒に歌ったりダンスしたり、ほんの5分でも「遊び」の時間を取って、その後に「じゃママ着替えようか」と促すと「そうだね」と着替えてくれることもありました。必要なお願いや指示の言葉だけではなく、「遊び」の時間こそが心をつなげるのです。

脳科学では、何かをまねる力は赤ちゃんのときから備わっていることがわかっています。

PanKR / PIXTA

例えば出産直後にお母さんが赤ちゃんに向かって舌をべーっと出すと、赤ちゃんも舌をべーっと出します。赤ちゃんの初期から持っているまねる能力は認知症になってからも消えにくいのです。「食べて」という言葉では伝わらなくても、母の目の前で私が食べると母も食べてくれたりなど、言葉以外のつながりに気付けると、家庭の中がとても明るくなってきました。

認知症で現れると言われている症状は多くの人のデータの平均です。みんなに当てはまることだけが抽出されると、その人だけの個性は消えてしまいます。

例えば好奇心が下がるという症状は確かに母にも現れましたが、音楽が好きとか、顔まねで素敵な笑顔で笑うとか、残されている母らしさは科学では示せません。多くの認知症の方にもその方だけの個性が必ずあります。認知症を受け入れ、その人らしく暮らしてもらうために、平均以外の部分に気付いてあげられるといいと思います。

母が認知症にならなかったら、脳を研究していながら、私はこのことに気付けなかったかもしれないと思います。

母が恋しくて恋しくて、会いたい

母が亡くなって5月で1年になります。今でも母が恋しくて恋しくて、会いたいという気持ちでいっぱいです。今年は母がいない初めてのお正月でした。去年の1月4日に母が倒れて入院、それから3か月会えなくなり、4月に有料老人ホームに移って、5月に亡くなりました。去年の今頃は本当に厳しい時期だったと思い出されます。

この8年間ほど、母と深く過ごせた時間はありませんでした。それまでは母は空気のようにそばにいるのが当たり前で、私自身は自分の夢や目標に精いっぱいで、それを応援し支えてくれているのも当然のように思っていて、母の人柄について考えることなどなかったと思います。

認知症になってから、深く母に向き合ってきて、いろいろなことがわかってきて、それからの母の印象が強く残っていますが、今は若いときの母はどんな人だったかなと思い返している毎日です。私はやっぱり母のことが大好きなのだなって。

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よく思い出すのは小学校3年生か4年生の頃、私が鍵を忘れて部屋に入れなかったときのことです。母が仕事から帰ってくる通り道を予想して、必ず通る場所まで迎えに行ったり、部屋まで戻ったりを繰り返して、夜10時くらいまで一人外で待っていました。

すっかり日も暮れて真っ暗の中、予想していた場所で母のシルエットが見えたとき、「やっぱりここで会えた!」と私はとても誇らしい気持ちでした。ところが母は私に気付くなり、泣き出して自分を責めたんです。母は何も悪くないのに。

なぜ母が泣いているのか、子どものときにはわからなかったけれど、そんな私を大事に思ってくれていたエピソードを思い出し、振り返る毎日です。

配信元: HALMEK up

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