2月28日、米イスラエル両国によるイラン攻撃が発表され、トランプ大統領は最高指導者であるハメネイ師の死亡を明らかにした。これを受けた「なぜ米国やイスラエルをロシアと同列に批判しないのか」との声に対し「答えは単純明快」と語るのは憲政史研究家の倉山満氏だ。個人の道徳基準を当てはめられない国際社会の実情と、問題の核心たる主権国家間の力学について倉山氏が読み解く(以下、憲政史研究家・倉山満氏による寄稿)。

◆アメリカとロシアを同列に批判できない理由
世の中には、簡単に答えられる問題を絶叫する人がいる。「ロシアを国際法違反だと非難するなら、なぜ米国やイスラエルを同じように批判しないのか? 二重基準だ!」と。 答えは「同盟国だからだよ」に尽きる。米国は名実ともに日本の同盟国、イスラエルは友好国である。「友達が悪いことをしたら、悪いと言ってあげるのが友達だ」式の、個人の道徳を国際社会に持ち込んではいけない。そもそも、同盟国も友好国も、友達ではない。こういう人は、国際法と国内法の区別がついていないようだ。国際法を国内法のように「万人に等しく適用されるべき法律」とでも勘違いしているのか。確かに国内法は、その国の全員に適用される。どんな権力者や金持ちも、人を殺したら逮捕され裁判にかけられ刑務所に送られるのが文明国だ。いかなる権力者でも金持ちでも、政府が捕まえる。この権力を主権と呼ぶ。
では、国際社会に主権者がいるのか? 万国に国際法を適用させる主権者など存在しない。国際社会には、警察も検察も裁判所も刑務所も存在しない。国際刑事警察機構だの国際司法裁判所だのといった、そういう名前の組織はあるが、本気で主権国家に抵抗されたら無力だ。
◆二重どころか主権国家の数だけある基準
国際社会には、約二百の主権国家が存在する。その主権国家の約束を国際法と呼ぶ。主権者が強制する国内法と違い、強制力はない。話し合いで解決しなければ、最終的には軍事力で解決するしかない。国際社会は二重基準どころか、主権国家の数だけ基準があると言って良い。最近、ロシアのウクライナ侵攻や、米国のベネズエラやイランへの侵攻で、「国連が機能しなくなった! 国際法に基づく国際社会の秩序が根本的に揺らいでいる! 力による現状変更が認められる世の中になった!」と慌てふためく声が多いが、いつの時代にそんな世の中があったのか。
国連など会議場にすぎない。言ってしまえば、会議場として機能しているのだから、それ以上を求める方が、どうかしている。
国際法は、口喧嘩の道具である。これはバカにしたものではなくて、自分や味方の身を守り、敵を攻撃する武器として、有効である。第二次大戦後の、「主権国家平等」「国境不可侵」「領土尊重」の原則は、それなりの抑止力になっている。現にトランプだって、ベネズエラという国を併合もしないし、領土の割譲すら求めていない。イランにも領土的野心は持っていない。

