「かっちゃん、これどうしたらいい?」洞窟界のレジェンド・吉田勝次と、29歳の弟子・こうちゃん。二人は社員1人の探検会社〈地球探検社〉を営み、事務所で寝食をともにする。だが本人は「洞窟が好きなわけじゃない」と笑う。痛い、狭い、苦しい。それでも闇の奥へ進む理由とは何か。“前人未踏”に取り憑かれた男たちの半生とは?

◆バカしか世の中は変えられない
岐阜山道の途中にある“穴”に入ると、奥には洞窟が広がっていた――。’24年、未知の領域に挑む挑戦者たちを讃える(※1)「植村直己冒険賞」 を受賞した、洞窟探検家・吉田勝次氏。30年以上にわたって国内外の1000か所以上の洞窟を探検し、ラオスにある(※2)ナムロッド洞窟の探検(’18~’24年)では、新たに約550mの未踏の空間を発見。偉大な探検家だが、彼の事務所を訪ねると、29歳の弟子・こうちゃんと2人暮らし。そんな意外な素顔に迫った。──運命的な洞窟との出合いを教えてください。
吉田勝次(以下、吉田):子供の頃から観光鍾乳洞が好きで、ひとりで電車とバスに乗って行ってたんです。人と違っていたのは、洞窟内のライトアップされた部分よりも、「立ち入り禁止」の看板の奥の暗い分岐に興味がありました。
──そのまま洞窟探検家の夢へと踏み出すかと思ったら、15歳で一家離散を経験されました。
吉田:そうです。ある日、学校から帰ったら家に誰もいなかった。高校も数か月で退学して、収入もないから生きていくために働き始めました。
──独学で建設業を学んで、21歳で会社を設立されてます。
吉田:仕事に熱中して休まずに働いていて、年商3億円規模まで拡大しました。ただ、地元の大きな建設会社が建設した10階建てのビルを見て、「頑張ってもこれぐらいにしかならないのか」という現実に落胆しちゃって。生きがいを失っていた28歳のとき、雑誌の記事に書かれていた浜松ケイビングクラブの洞窟探検に目を奪われて、すぐに連絡して参加したんです。帰りの車のなかで、「死ぬまでやり続けたい!」と雷に打たれたような衝撃を受けました。さらにクラブの会長から、「自分で見つけた洞窟を探検したらもうやめられんよ」と言われて。鍾乳洞に夢中になった子供の頃と同じように探求心が刺激され、一人で未知未踏の洞窟を探して探検し始めたんです。

吉田:平日は建設業、週末は洞窟探検をしていたので、子育ては妻に任せてました。以前、僕が(※3)『情熱大陸』に出演したときに長男がインタビューで、「親父は2~3か月に一回しか帰ってこないから、家にいると子供の頃は『このおっさんは誰?』と思っていました」って(笑)。
──探検家を続けながら収入面はどうなっていましたか。
吉田:建設業の稼ぎを維持しながら探検を続けるのに四苦八苦してきました。ゴールが決まっている「冒険家」とは違って、目的が明確ではない「探検家」は社会的意義が説明しづらいのでスポンサー企業を探すのが難しい。洞窟探検家としては講演やメディア出演料、大学や企業からの調査依頼などで、年間1000万~1500万円ほどの稼ぎがあっても、そのまま探検費用に消えている感じです。
◆子供の部分を残すために、強烈な大人の部分もつくる
──家族を養っていくために、本業の建設業を続けている。吉田:親父が蒸発してからは収入がゼロで母親がパートで稼いだお金でやりくりして、駄菓子がご飯代わりだったこともありました。そういう思いはさせたくないし、男親として家族の生活は困らせない圧倒的な経済力は最低条件だと思う。自分のような大人になりきれない人間が、子供の部分を残すためには強烈な大人の部分もつくらないといけないと自覚しているんですよ。

吉田:稼いで、子の命を守っていくこと。だから建設業の社長として商談するときはスーツを着て、車も乗り換える。“大人のコスプレ”をして、スイッチを切り替えている感覚ですね。
──吉田家の家訓のようなものはあるんですか。
吉田:ないねえ(笑)。ただ、「親の人生が子供のために犠牲になる」のは違うと思う。僕の姿が子供たちにどう映っているかはわからないけど、「人生で自分の好きなことを見つけたら、めちゃくちゃ楽しく生きられるんだ」と感じてもらえたら嬉しい。

