天皇を「形式だけ」にしたのは徳川だった。禁中並公家中諸法度の失礼すぎる一文

天皇を「形式だけ」にしたのは徳川だった。禁中並公家中諸法度の失礼すぎる一文

◆元号に関して主導権を放さない歴代幕閣

 一六二三年、秀忠は上洛。息子家光への将軍宣下を要請します。と言っても、天皇に拒否権はありませんが。秀忠は、その手数料の如く、禁裏御料を一万石増額して計二万石に増やしてあげます。

 翌年、寛永に改元します。さすがに日本の先例に習って、漢籍から二文字を取って名付けました。ただ、将軍の代替わりだから改元したとの説もあります(山田忠雄「近世の元号雑感―改元をめぐる民衆の反応あれこれ―」『歴史評論』三四九、一九七九年)。だとしたら、トコトン、秀忠は朝廷をコケにしています。

 こんな調子で歴代幕閣は、元号に関して主導権を放しません。幕末には嘘のように、朝廷にやりたい放題やられますが、今はまだまだ江戸前期。

◆一刻も早く「天皇の外祖父」になりたい幕府

 この年十一月、和子が女子を産みました。後の明正天皇です。

 天皇、女性には優しかったらしく、和子さん個人との関係は良好だったようです。ちなみに摂関政治の時代から、「天皇は正室との間に子供をつくるまでは、ヨソでつくるな」が不文律でした。そうしないと、正室の実家をコケにすることになるからです。天皇に娘を嫁がせるとは、産んだ子供が天皇になった時、「天皇の祖父」になりたいからです。外祖父でも、お爺さんはお爺さんです。それを阻まれるのは死活問題になりかねませんから、子作りは監視されているのです。

 一六二六(寛永三)年、和子は無事に男子出産。即座に親王宣下、高仁(すけひと)親王です。天皇は一六二九年に高仁親王に譲位する意向を伝えます。幕府も同意します。そらそうでしょう。なれるものなら、一刻も早く「天皇の外祖父」になりたい。

 この一六二六年、大御所秀忠と将軍家光は揃って上洛。秀吉の時代の聚楽第行幸に倣って、天皇に二条行幸を仰ぎ、豪勢に接待しました。徳川の権力を誇示するためだから、湯水のごとく金を使います。

噓だらけの日本近世史
『噓だらけの日本近世史』


【倉山 満】
皇室史家。憲政史研究家。1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『噓だらけの日本近世史』が2月28日より発売
配信元: 日刊SPA!

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