
国公立大学医学部の入試において、かつては一般的だった「分離・分割方式」が、大きな転換期を迎えました。多くの難関大学が後期日程を廃止・縮小するなか、あえて定員を後期へ大胆にシフトした戦略が、医学部受験の勢力図を塗り替えたのです。河合塾の入試難易度予想ランキングでは、この戦略によって偏差値70台をマーク。東大理IIIや京大医といった最難関校の併願先として全国から精鋭が集まる場となりました。本記事では、奈良県立医科大学理事長・学長の細井裕司氏の著書『挑戦する人か、文句を言う人か』(日経BP)より、大学の学力水準の向上と、地域医療への貢献という、地方医大が抱える究極のジレンマをどう乗り越えたのか。賛否が拮抗した教授会の舞台裏から、改革の真価を問います。
後期日程入試を行っている医学部の減少
分離・分割方式が採用された当初は、多くの大学が前期、後期の両日程で試験をしていた※。
※1989年度から国公立大学が導入した募集定員を前期・後期に二分して選抜する方式しかし数年後には、前期日程だけで試験する大学が増えた。関西で医学部のある8つの国公立大学の募集定員は合計900人ほどだが、私が後期日程入試を行っている医学部の減少に着目した2010年頃、後期日程での試験を維持しているのは奈良医大と大阪大学医学部だけとなった。人数にすれば奈良医大が20人、大阪大学が15人のわずか35人だ。そのうち大阪大学医学部も後期日程試験を取りやめた。もはや全国的に見ても、後期日程試験を残す大学は少数であった。
東大・京大落ちを狙うチャンス
私はこの状況を見て、チャンスだと感じた。後期日程試験を実施するのが奈良医大だけになれば、東京⼤学理科3類や京都大学、大阪大学の医学部を不合格になった受験生の多くが本学の後期日程を受験するようになるだろう。後期日程の募集定員を増やせば、それだけ優秀な学生を全国から集めることができると私は確信した。受験には運の要素も大きいので、東大を不合格になった人が合格した人よりも大きく劣るということはないはずだ。
少なくとも入試偏差値だけは、全国トップクラスの大学と肩を並べることができるかもしれない。
後期日程重視への反対
そこで私は2011年、当時の𠮷岡章学長に後期日程重視の構想を提案し、「入試改革委員会」をつくっていただいた。委員は当初10人規模で構成する案が示された。だが、それでは議論が冗長になりかねない。5人に絞り込むことを提案し、私は入試改革委員会委員長として改革案のとりまとめに着手した。従来の慣行を大きく転換し、後期日程を重視する入試戦略だ。
しかし、医学科教授会で待っていたのは多くの反対だった。最大の理由は、「全国から優秀な学生を集めると、卒業後の臨床研修の段階で県外の病院を希望する学生が増える」というものだ。
背景には、2004年に義務化された新医師臨床研修制度がある。新卒医師が大都市の研修病院に流出し、地方の大学病院は深刻な医師不足に直面していたのだ。各科の教授たちは、とにかく一人でも多くの新卒医師を自らの医局に入れたいと思っていた。そのため「全国から学生を集める」という私の提案は、かえって人材流出を招くリスクと捉えられた。
また、「いったん奈良医大に入学後、在籍したまま東京大学理科3類や京都大学医学部を再受験する仮面浪人が出るのではないか」という危惧も示された。実際、改革当初の数年間は数人の仮面浪人が存在したが、その後は減少した。
私はこうした反対を前に、正面から説得を試みた。将来、世界に認められる研究者や医師を育成するには、やはり優秀な学生の確保が欠かせない。
そこで、反対した教授たちの研究室を一つ一つ訪ね歩いて「優秀な学生を、さらに優秀にして送り出すことこそ教育者の使命ではありませんか」と繰り返し語りかけた。卒業生を奈良県内に残すには、キャリアの構築支援など、また別の取り組みが必要だ。こうした私の主張に理解を示す教授が少しずつ増えていった。
採決をとったのは2011年6月14日の教授会だった。賛否が拮抗する中で、後期日程重視の入試改革案は、僅差で賛成票が反対票を上回った。これにより、2013年度の入試から奈良医大は全国的にもまれな「後期日程重視」への転換を正式に決定したのである。
