年商3億円から「月収8万円」に転落…借金1億円でも41歳男性が「幸せ」と語る理由

年商3億円から「月収8万円」に転落…借金1億円でも41歳男性が「幸せ」と語る理由

◆すすきのでは左うちわ…独立して年商3億円

――挫折を味わっても、ホストを辞めなかった。

ゾンビ井上:このまま終わりたくない気持ちがありました。そこで、大阪と東京の知り合いがいない場所でゼロからやり直そうと思い、すすきのを選びました。

――そこではいかがでしたか。

ゾンビ井上:当時のすすきのは、ホストクラブは流行していましたが、サービスのレベルは高いとは言えませんでした。ここでなら勝負できると思い、実際に、入店したお店でナンバーワンになることができました。それだけでなく、地元のラジオ局やファッション雑誌の表紙など、さまざまな媒体で起用していただくなど、当時のすすきのではちょっとした有名人になることができました。最高月収も500万円くらいだったと思います。

――そのあと、独立された。

ゾンビ井上:そうです。24〜27歳まですすきののホストクラブに勤務して、貯金を元手にして2年間でホストクラブを5店舗展開しました。また、BARも2店舗ほど出店しました。当時は知名度があったので、従業員もすぐに集まってくれました。年商3億円くらいに達したのはこの頃です。

――さらにアイドルプロデュースもされますよね。

ゾンビ井上:30歳になったのを機に、もっと違う業種にも進出してみようと思って地下アイドルのプロデュースを始めました。芸能事務所を札幌の一等地に建てて、100坪の土地に劇場を建てました。当時はまだ地下アイドルの黎明期で、そうした大規模な取り組みは少なかったと思います。アイドルオーディションは全日空ホテルでおこない、700人あまりが参加してくれました。そのなかから合格者を決め、ユニットを組んだんですね。地下アイドルながら、海外からの招待で公演もやりきり、オリコンベスト10にもランクインしました。

◆放漫経営の末、地獄を味わうはめに

――順風満帆じゃないですか。

ゾンビ井上:少なくとも外からはそうみえたでしょうね。しかし、ホストクラブなどの実質的な運営を任せきりにしていたため、徐々に経営は傾いていきました。ホストクラブのスキームをそのままやろうとしたのも、間違いでした。客単価があまりに違いすぎるんです。店はドミノ倒しのように次々に潰れ、従業員は離れていきました。

――踏みとどまることはできなかった。

ゾンビ井上:結果的にはそうですね。劇場を小さくしたり、事務所を手放したりしましたが、社員にも給料が払えない状態なのでどんどんやめて、とうとうひとりぼっちになりました。意地で35歳まで続けましたが、多くの期待を裏切ってしまったと思います。

――精神的にはどうでしたか。

ゾンビ井上:最後の3年くらい、死にたいなと思いましたよ。大量に酒を飲んで、首を縛ったりして、死のうと何度も思いました。けれども、できなかったですね。そこから知り合いのつてで何とか食いつなぐことができて、生活自体はなんとかできましたが、目は死んでいたと思います。


配信元: 日刊SPA!

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