
大手メーカーに勤める夢男さん(仮名・53歳)は、会社から提示された早期退職の募集に前向きです。上乗せ退職金を含む3,500万円を「第二の人生の資金」と楽観視する夫に対して、教育費や老後の現実を直視する妻は猛反対し、家庭は冷戦状態に。高額な退職金を「自由」と捉える夫と、「生活保障」と捉える妻の意識格差が浮き彫りになっています。価値観の相違が家庭崩壊の危機を招いた50代夫婦の事例を紹介します。
夫婦喧嘩の火種になった「ネクストキャリア支援制度」の書類
「これを見てくれ。会社が早期退職を募集してるんだ。俺、これに応募しようと思う」
金曜日の夜、夕食後のダイニングテーブルに一枚の書類を広げたのは、大手機械メーカーで技術職として働く早辞夢男さん(仮名・53歳)。夢男さんの唐突な発言に、妻の止美さん(仮名・50歳)は言葉を失いました。
書類には「ネクストキャリア支援制度」という耳触りのいいタイトルとともに、退職金の加算シミュレーションが記載されています。夢男さんの勤続年数と等級であれば、通常の退職金に加え、特別加算金として約1,500万円が上乗せされ、合計で3,500万円近くが手元に残る計算に。
「3,500万円だよ。これだけあれば、家のローンを完済しても2,000万円以上残る。しばらくのんびりして、その後はフリーの技術コンサルとしてやっていきたいんだ。今の会社で管理職として消耗するより、よっぽど素晴らしい生き方だろ?」
夢男さんの目は輝いていました。会社は業績好調ですが、50代の社員に対する風当たりは年々強くなっています。役職定年を前に、まとまった資金を得て「脱出」できるこの制度は、夢男さんにとって希望に見えたのです。
しかし、止美さんの反応は冷ややかでした。黙って立ち上がり、リビングの棚から厚みのあるファイルを持ってきました。家計簿と今後のライフプラン表です。
「あなた、本気でいってるの? 次男の大学進学が決まったばかりよ。あと2年、学費と仕送りで400万円はかかるわ。住宅ローンだって、繰り上げ返済したら手元の現金が減るじゃない。それに、あなたのいう『コンサル』って、あてはあるの?」
価値観の相違で冷戦状態
痛いところを突かれた夢男さんは、こう反論しました。「俺だって技術屋として30年やってきたんだ。ツテくらいあるし、何とかなる! 大体、今まで家族のために散々働いてきたんだぞ。俺の稼いだ退職金くらい、俺の好きにさせてくれよ!」
「あなたの人生であると同時に、家族の生活でもあるのよ! 3,500万円なんて、老後資金を考えたら決して遊んで暮らせる額じゃないわ。毎月安定したお給料が入ってくることが、どれだけありがたいかわかってないの?」怒りをあらわにしながら、止美さんも負けじと言い返します。
その夜、話し合いは平行線のまま、夢男さんは「お前は俺の苦労を何もわかっていない」と捨て台詞を吐いて寝室に閉じこもりました。
翌日以降、家のなかは冷戦状態です。夢男さんは「応募期限が迫っている」と焦りを募らせ、止美さんは「ハンコは絶対に押さない」と頑なです。 黒字リストラによる割増退職金は、本来であれば老後の選択肢を広げるための資金。
しかし、早辞家においては、夫婦の価値観の違いを決定的にし、信頼関係を壊す火種となってしまいました。
止美さんは今、夢男さんが勝手に退職届を出さないよう監視しながら、パートのシフトを増やすことを検討しています。夢男さんが本当に辞めてしまった場合、その後始末をするのは自分だと直感しているからです。
