原発建設で潤ったのも確か
原発事故に翻弄された、福島の人々。一方で原発の立地する地域は事故が起きるまでは「潤ったのも確か」と、佐藤さんは振り返る。
震災前、東京電力福島第一原発の関連の仕事に就いた地元民は、少なくない。原発建設にあたって周辺地域には飲食店が増え、すし店には大量の注文が舞い込んだそうだ。
農業をやめて東電や関連会社に就職した人も、少なくなかったという。「給料が桁違いでした」。
だが佐藤さんは、自身の被災体験からこうも話す。
「失ったものは、お金には変えられません」
震災前、親戚縁者としばしば集まって楽しい時間を過ごした。200人ほどの大所帯になることもあった。浪江が全町避難となり、バラバラになってしまった結果、親戚との密なコミュニケーションは途絶えた。佐藤さん自身、現在は新地町在住で浪江に住んでいない。
「浪江で生まれたのだから、浪江で終わりたい」
との気持ちがあるという。
まだまだ話せないことがある
根本さんは相馬市で暮らす。
「『浪江に帰ってよし』と言われても、帰れない。死ぬまで帰れない人が、いっぱいいますよ」
こう語る。大熊町や双葉町は、JRの駅周辺に災害公営住宅が建設された。だが浪江町は、中心部など「避難指示解除準備区域」が大熊町や双葉町より早く避難指示が解除されたが、駅近くでの災害公営住宅の建設は遅れている。この点、町政懇談会で質問した。
元々は福島市出身の根本さん。浪江の家はリフォームして貸し出しているが、自身は「今の(相馬の)家を守らなければならない」。浪江に戻るのは難しいようだ。
根岸さんは、「家が浪江にないので、こだわりはありません」。現在は南相馬市に住み、娘の家も比較的近い。浪江には墓参などで足を運ぶことも可能だ。
一方で、こうも口にした。
「15年は、あっという間だったけれど、まだまだ話せないことがある人はいます」
心の深いところにある、なかなか明かせない複雑な気持ちも残ったままのようだ。
(J-CASTニュース 荻 仁)