
高齢化に伴い、2040年には85歳以上の救急搬送が現在より75%増加すると予測されています。こうした需要の増加に反して、それを支える医療・福祉人材の不足は深刻です。「医師の働き方改革」の影響もあり、日本医師会の調査では、病院の約15.6%が「救急搬送の受け入れ困難事例が増えた」と回答するなど、救急医療は窮地に立たされています。
そこで注目されているのが、現場から搬送中の救命処置を担う救急救命士です。現在はその約75%が消防機関に所属していますが、近年は病院内など消防の枠を超えた活動の場が広がっています。
その先駆けとして、病院内救急救命士としての業務を築いたのち、さらなる活躍の場を全国に広めるため起業した救急救命士がいます。今回は民間企業を立ち上げたふたりに、その背景と展望を聞きました。
話を聞いた人

Ace’sMedical合同会社 代表 木下潤一さん
専門学校を卒業後、異業種への就職を経て病院に転職。院内で初の救急救命士部署の立ち上げや育成を経て、2019年にAce’sMedical合同会社を創業。

Ace’sMedical合同会社 大阪エリア統括部長 長尾祐太郎さん
新卒で脳外科病院に入職。知人の紹介により木下さんが勤務する病院へ転職し、院内救急救命士として活躍。Ace’sMedical立ち上げに際し退職し、現職を務める。
「救急救命士」の資格があっても活かせなかった

──おふたりは、なぜ最初から消防ではなく病院勤務を希望していたのでしょうか?

消防より幅広い知識や経験が積めるのではと思い、学生時代から病院勤務を希望していました。しかし当時は病院の求人が全くない状態で、卒業後は半年ほど道路工事の仕事に就いていました。そんなとき、専門学校の担任の先生から病院の求人を紹介していただき、90床ほどの病院へ転職することができました。

私はもともと消防を志望していました。ですが、実習が想像以上に体力的に厳しくて。高校時代に負ったけがの影響もあり、体力勝負の消防で働き続けるのは難しいと痛感しました。幸い、木下さんの就職活動のころより病院の求人が増えていたので、新卒で脳外科の病院に入職しました。
──病院で働く救急救命士というと、どのような業務をおこなうのでしょうか?

救急車の受け入れや救命処置、診療補助、転院先の手配など多岐にわたります。
私が入職した当時は、救急救命士法ができて10年程度だったこともあり、看護師さんたちも「救命士って何?」という状態でした。看護部に配属され、ユニフォームも看護師とヘルパーのものを組み合わせたような格好で、ライセンスを持った看護助手というのが実態でした。

私の勤務先も「介助の介助」くらいの立ち位置で、医療物品を触ることすら制限されていました。仕事終わりに必死に勉強して知識を深めても、それを発揮できる場がなく、3年ほどもどかしい日々が続きました。当時は、専門学校に入り直して看護師を目指すか、同じ病院で働き続けるか悩んでいましたね。
救急救命士の専門性が発揮できる場を
──木下さんは、病院内でどのように救命士の地位を確立していったのでしょうか?

救急救命士が看護部の傘下ではなく、一つの「専門部署」として独立することにこだわりました。誰かの指示を受けてからではなく裁量的に動ければ、救急対応のスピードや精度が上がると思ったからです。救急受け入れ時の体制を確立し、救急車の拒否を少しずつ減らしていきました。こうした実績を武器に交渉し、全国的にも珍しい「救急部」としての独立を果たしました。
次第に長尾のような後輩も加わり、消防側との情報共有もおこなった結果、以前は70%程度だった救急車の応受率(受け入れ率)を、最高で97%まで伸ばすことができました。
なにより、救急救命士が独立したプロとして業務を組み立てられるようになったことで、メンバーのモチベーションや自信につながったと確信しています。
──順調だったようですが、そこからなぜ起業という道を選んだのか気になります。

病院内でも評価され、やりがいも感じていました。ただふと、自分が一人の「病院職員」として働いているかぎり、そのノウハウを広められる病院の数には限界があると思ったんです。
一つの病院で体制を定着させるには3〜5年はかかります。一生にかかわれる病院はせいぜい5、6施設。これでは、救急体制に課題を抱える全国の病院や、活躍の場に悩む救急救命士の力になれるスピードとしては不十分だと思ったんです。そこで、長尾など同僚3人で2019年に起業に踏み切りました。

