◆(2)「僕は誠実」「俺はやさしい」と自認し、公言している
幼稚な中年たちは、精神年齢が低いゆえに、自己を客観視できないという特徴もあります。よくあるケースで言うと、自分のことを誠実な人格者だと思い込んでいたり、自分のことを清廉潔白なやさしい人間だと思い込んでいたり。
誤解を恐れずに断言しますが、「僕は誠実だよ」「俺はやさしい男だよ」と公言している場合、まず間違いなく幼稚な中年です。
この話は逆に考えるとわかりやすくなります。
本当に誠実な人間が自身のことを誠実だと評するでしょうか?本当にやさしい人間が自身のことをやさしいと評するでしょうか?答えは“否”。
周囲の人たちからは「彼は誠実だ」「彼はやさしい」と称賛されているかもしれませんが、本当に誠実な人ややさしい人であれば、「誠実」「やさしい」という言葉がどれほど重い意味を持っているかを理解しており、軽はずみに口にできないはず。
誠実さややさしさという概念の本質を理解していればいるほど、それを極めることがいかに難しいかを知っており、自分にはまだまだ至らない点があると反省しているはず。
周囲から見れば間違いなく「誠実な人」「やさしい人」であったとしても、往々にして謙遜などではなく本人はそう自認していないものなのです。
つまり、「僕は誠実」「俺はやさしい」と自称している中年ほど、誠実さややさしさの本質を理解できておらず、さらに自分を客観視できていないという、幼稚な一面が丸見えなのです。
◆(3)すぐ論破するなど、本当の意味での話し合いができない
精神的に未成熟な中年ほど、きちんとした話し合いができないという特徴があります。ちなみに、話し合いの場を作っていればOKというわけでもないですし、自分の意見を述べていればOKというわけではありません。
もちろん話し合い自体に応じなかったり、話し合いの場で不機嫌な態度で押し黙っていたり、思考停止で考えることを放棄したりするのは論外ですが、話し合いに参加して言葉を発していれば良いというわけでもないということです。
幼稚な中年ほど、話し合いの場を作って相手に自分の意見を伝えれば、「自分はきちんとした話し合いをした」と勘違いしているもの。
精神年齢が低いと、そもそも話し合いの目的を理解できてないというケースがままあります。なまじ高学歴エリートだとディベート能力は高いので、自分の主張を押し通そうとしがちですが、そうなると相手を論破することが目的になりがち。
しかし、パートナーとの話し合いの本当の目的は、双方が納得できる結論を探すことであり、もっと簡単に言うなら2人が幸せになれる道を見つけ出すことです。
場合によっては意見が対立してしまうこともあるかもしれませんが、その際に自分の主張を押し通して相手を屈服させることをゴールとしているとしたら、呆れるほど“お子ちゃま”すぎます。
話し合いの相手は敵ではなく、ともに幸せになることを目指すパートナーなのですから、パートナーの主張は打ち負かすべきものなんかではありません。
自分だけが納得する結論を出すのではなく、2人とも納得できる結論を出すことが話し合いの目的なので、自分の主張を伝えるだけでなく、パートナーの主張にもしっかり耳を傾けることができないと、とても“大人”とは言えないのです。
考え方が合わなかったときに相手を論破しようとしている限り、恋愛・結婚のパートナー間において、きちんとした話し合いができているとは言えませんので、幼稚だと考えていいでしょう。

