笑顔でそう言い切る時東ぁみさんの顔に、迷いはなかった。
2005年のデビュー以来、メガネっ娘アイドルとして一世を風靡した彼女の現在地は、すっかり「防災ガチ勢」へとシフトしていた。防災ラジオ2本のレギュラー出演に全国講演、防災イベント企画にオンラインサロンの主催と、活動は多岐にわたる。
ちなみに、地域の防災活動をリードする民間資格「防災士」を取得したのは2007年、アイドル全盛期のど真ん中だ。
今年は東日本大震災から15年の節目。「笑顔で学んでほしい」という言葉の裏には、重い現実と「どこまで伝えるか」という葛藤があった。

◆「話のネタ」が「使命」に変わった日
――アイドル活動の全盛期に、なぜ防災士の資格を取ろうと思ったんですか?時東ぁみさん(以下、時東):念願のアイドルになれたのはよかったんですが、代わりにもうひとつの夢だった、体の不自由な方やお年寄りにスポーツを教えるような仕事を諦めなければならなくなったんです。
落ち込む私を見て、当時のプロデューサーのつんく♂さんが「人助けがしたいなら、こんな資格もあるぞ」と紹介してくれたのが防災士でした。
――取得した当時、防災士という資格は世間にほとんど知られていませんでしたよね?
時東:そうなんです。だから、当時は「やった!番組でのトークネタが増えた!」くらいの感覚でした。それに、「家族が守れればいいや」くらいの意識でいたんで、自分から積極的に防災について話すことはほぼありませんでした。
――その意識が変わったきっかけは何だったんですか?
時東: 2011年の東日本大震災です。家族や周りの人たちの間だけで防災知識を共有しているのはもったいないというか、もっと発信をすれば、ファンの方はもちろん、それ以上に多くの人を助けられるかもしれないと思ったんです。
◆リアルな悲劇を、そのまま伝えない理由
――いろいろな防災活動をされていますが、被災者の声を直接聞く機会はありますか?時東:はい。プライベートよりもメディアでお話しできる方から聞くことがほとんどですね。特に多いのはラジオで、被災経験のある方などをゲストにお呼びすると、自然と当時のお話になるんです。
――被災者の方から話を聞く時に、気をつけていることはありますか?
時東:無理に言葉を引き出そうとしないことです。話している途中で言葉が詰まってしまったら、そこで無理に続けてもらう必要はないですし、フラッシュバックで辛くなってしまうくらいなら、その話はしなくていいと思っています。
過去に何があったかよりも、今、何を頑張っているか、今どうなっているかの方が大事だと思っているので。
――実際に色んなお話を聞いてきて、印象に残っているエピソードはありますか?
時東:忘れられないのは、ラジオに出演してくださったある防災関係の方のお話です。
その方は、ご自身が実際に見たり、聞いたりしたお話をいくつもしてくださったんですが、津波が迫ったある幼稚園で、先生方が園児を乗せた体操マットを必死に持ち上げて助けようとしていたそうです。でも、先生方の足元には、マットに乗れなかった子どもたちが……。
この話はラジオには乗らず、曲の途中で話してくださったんですが、聞きながら号泣してしまって。ラジオ的には放送事故でした(苦笑)。
あと、津波が来る直前に「家の様子を見てくる」と言って自宅に戻った方が、そのまま戻ってこなかったという話も聞きました。残されたご家族は、「あの時に止めていたら」と深く後悔されたそうです。それ以降、講演では「津波警報が出たら、解除されるまで絶対に家に戻らないでください」と必ず伝えるようにしています。

