
◆過去に傷ついた言葉の“受け取り方”に変化
——長濱さんは、普段から言葉に対して真摯に向き合われている印象があります。以前、ラジオ番組で「高校生のころに『みんな辛いんだから』と大人に言われて傷ついた」というお話をされていましたが、改めてそのお話を伺いたいです。長濱ねる(以下、長濱):現在は「みんな辛いんだから」というその言葉に対して、そこまで過敏には捉えていないんです。
——そうなんですか!? 共感する人も多いと思ったのですが。
長濱:当時の私は、親にいろんなことを教えてもらいきる前に、10代で社会に飛び込み、環境が変わって、本当にいっぱいいっぱいでした。不安なことや、わからないことを相談するのも怖かったし、自分ができないことを素直に「できない」と言うこともできなかった。ただただ、できるふりをして、わかったふりをしてやっている感覚がありました。人に弱みを見せたくないからこそ、「自分のこの気持ちは、わかってもらえるはずがない」と思い込んでいたのかなと思います。

長濱:その時は「受け取り手の視点」でしか見ていなかったのだと思います。その言葉を投げかけた人は、素直に励ましたのかもしれない。文面だけを切り取るんじゃなくて「その人がどんな風に思って投げてくれたのか」を想像する力が、そのときの自分には足りなかったなと。
——「その人がどんな思いで投げてくれたのか」を想像する。
長濱:私自身、言葉足らずの時もあるし、言葉の選択を間違ってしまうこともあります。だから、あまり言葉に固執しすぎず「どういう気持ちでかけてくれたのかな」と想像して、できるだけちゃんと相手の気持ちを受け取りたい。「自分は善意のつもりだったのに」とか、そういう日々の誤解は起こりがちです。だからこそ言葉の表面じゃなくて、人の本当の気持ちを受け取れる人であれたらと思っています。
◆時に嫌いな自分が出ちゃっても「まあいいか」の精神で
——もうひとつ、伺いたい言葉がありました。昨年の『QJWeb(クイック・ジャパン ウェブ)』のインタビューに、「18歳の自分に宛てた手紙」が載っていました。そこに「決して自分を肯定できなくてもいい、ありのままを受け入れて認めてあげられると、少しだけ呼吸しやすくなる」と書かれていて、特に「自分を肯定できなくてもいい」というところに心を打たれました。長濱:ありがとうございます。嬉しいです。
——そうした気持ちにたどり着くまでは、ご自身の中でいろいろと考えることもあったのでは?
長濱:そうですね。その気持ちは今も変わっていません。特にここ5年、10年、「セルフラブ」とか「自分を愛する」といったことを耳にします。それも大事なことだとは思います。でも自分のこういう部分は嫌だなとか、こういう部分は人に見られたくないなという部分って、少なからずあるものだと思うんです。それを無視して「自分大好き!」って思うのって、ちょっと乱暴な気がしていて、自分には向いてないなと。

長濱:肯定できないところが出てしまったときに「悲しい」と思うんじゃなくて、自分を認めたり好きになることが100%は無理だとしても、「まあいいか」と少し気軽に思えたほうが、受け入れられる近道のような気がします。私も未だにちゃんとはできていないんですけどね。ずっと心がけるようにしています。

