少し前、SNS上で生活保護の申請方法に関する投稿がバズりました。「水際作戦(窓口で申請させずに追い返す手法)に遭わないために、申請書を事前にダウンロードして記入しておくべきだ」「このフォーマットを使えば断られにくい」といった情報が拡散されています。
確かに、心ある支援団体や有志が作成した申請書のテンプレートを活用すること自体は、法的に何ら問題ありません。しかし、切羽詰まって明日の食事にも困っている状況では、書式をダウンロードし、印刷し、記入して、それを郵送やFAXで提出して回答を待つ余裕もないと思います。
困窮している当事者の負担と、法的な権利行使の確実性という視点からすれば、実は、生活保護の申請書など事前に用意せず「手ぶらで役所に行く」が、最も早くて確実なのです。
今回は、判例や厚生労働省の公式見解(生活保護手帳・問答集)に基づき、なぜ「手ぶら」が最適なのか、その法的根拠と現場の実態を解説します。(行政書士・三木ひとみ)
ネットで広がる「申請書の事前準備が必須」の誤解とリスク
まず、なぜ「申請書を事前に自分で用意すべき」という言説が広まっているのか、その背景を整理しましょう。
最大の理由は、いわゆる「水際作戦」への対抗策です。 水際作戦とは、役所の窓口で相談者が生活保護の申請をしようとしても、「あなたはまだ働ける」「親族に援助を頼め」「書類が足りない」などと言って申請書を渡さず、あるいは受け取らずに追い返す違法・不当な対応のことを指します。
申請書すら渡されずに追い返される事例が後を絶たないため、「あらかじめ申請書を自分で作成し、有無を言わさず叩きつければ、役所は受け取らざるを得ない」という対抗策が生まれました。
これは理論上、正しい戦術です。しかし、生活に困窮し、精神的にも追い詰められている当事者が、役所に頼らず独力であらかじめ申請書を作成することには、実は意外なリスクが潜んでいます。
「自作の申請書」が原因で審査が遅れることも
というのも、日々官公署に提出する書類を作成することを業とする行政書士の視点から見て、自分で作成した申請書には「不備」や「矛盾」が含まれることが少なくないからです。
たとえば、極度の緊張状態で記入したために、預貯金の申告漏れがあったり、世帯構成の記述にミスがあったりした場合、役所側は「虚偽の申告ではないか」「資産隠しではないか」などと疑いの目を向けるきっかけになりかねません。
生活保護行政の運用指針である「生活保護手帳 別冊問答集」には、申告内容に不審がある場合、厳格な調査を行うよう記されています。不慣れな書類作成によって生じた些細なミスが、かえって審査を長引かせ、自分の首を絞める結果になることもあり得るのです。
それならば、窓口で職員の目の前で、職員の指示に従いながら記入するほうが安全です。
「ここの書き方が分からないので教えてください」と聞けば、職員には説明する義務があります。皮肉なことですが、水際作戦を行うような厳しい職員ほど、いざ申請手続きに入ってしまえば、書類の不備で審査が滞るのを嫌うため、正確な記入方法を教えてくれるようになることが多いです。
「手ぶら」で行くことが最強である“法的根拠”
私が「手ぶらで役所に行くこと」を推奨するのは、単に楽だからではありません。それが生活保護法および関連判例に照らしても、極めて強力な「権利行使」の形だからです。
その理由は2つあります。
第一に、「口頭での申請」が法的に認められていることです。
そもそも、生活保護の申請に「特定の用紙」は必須ではありません。生活保護の運営に関する行政の公式見解(問答集)では、「口頭による保護の申請」について以下のように明確に回答されています。
「申請は必ずしも書面により行わなければならないとするものではなく、口頭による開始申請も認められる余地がある」
もちろん、原則は書面での申請ですが、手ぶらで窓口に行き、書面を作成できない(持っていない)場合、役所側はどうすべきか。同問答集は続けてこう述べています。
「申請者の状況から書面での提出が困難な場合等には、実施機関側で必要事項を聴き取り、書面に記載したうえで、その内容を本人に説明し記名を求めるなど、申請行為があったことを明らかにするための対応を行う必要がある」
つまり、あなたが手ぶらで窓口に行き、「申請します」と口頭で伝えれば、職員があなたのために申請書を用意し、記入を補助する義務が行政側に発生するのです。わざわざコンビニでプリントアウトする必要など、どこにもありません。
第二に、「相談」ではなく「申請」をすれば、役所は審査を行う義務を負うことです。
多くの人が水際作戦に遭うのは、窓口での第一声が「相談」になっているからです。
「生活が苦しいのですが、どうしたらいいでしょうか?」 このように聞かれたら、役所の職員は「相談業務」として対応します。相談であれば、「まだ頑張れるのでは?」「他の制度を探しましょう」というアドバイスが行われる余地が生まれます。
しかし、ここでこう言ったらどうなるでしょうか。
「生活保護の申請に来ました。申請書をください」
これは行政手続きの「開始」を意味します。生活保護法24条には、申請があった場合、実施機関(福祉事務所)は保護の要否を決定し、書面で通知しなければならない旨が定められています。あなたが「申請します」と意思表示をした瞬間、役所側には「審査をする義務」が発生します。これを拒否して追い返すことは、明確な法律違反となります。
ちなみに、有名な「小倉北餓死事件」(北九州市)の判決において、裁判所は次のように述べています。
「生活保護申請をする者は、申請をする意思を『明確に』示すことすらままできないことがあるということも十分考えられるところである。…場合によっては、『申請する。』という直接的な表現によらなくとも申請意思が表示され、申請行為があったと認められる場合がある」
さらに、申請しようとした人を窓口で断念させた行為について、裁判所は「申請権を侵害するもの」として、国家賠償法上の違法性を認めています。つまり、「助けてほしい」「申請させてほしい」という意思さえ示せば、たとえ手ぶらであっても、役所はその意思を無視してはならないというのが、日本の司法の判断なのです。
もし窓口で「申請書」を渡してくれなかったら?
ここまで読んでも、「それでも窓口で追い返されるのが怖い」という方はいるでしょう。実際に、「申請書をください」と言っても、「いやいや、まずは話を聞きましょう」と申請書を出さず、事実上の門前払いをしようとする悪質なケースもゼロではありません。
その場合の対処法もシンプルです。以下の2つの言葉を覚えておいてください。
①「申請権の侵害になりますよ」
前述の通り、申請の意思を示した者に対して手続きをさせないことは、判例上も違法とされています。この言葉は、相手に「法的に争う知識がある」と認識させる強力な牽制になります。
②「申請書を渡さないなら、その理由を書面でください」
行政手続法や生活保護法の運用において、行政の対応には説明責任があります。申請させない正当な理由など存在しないため、職員はこの要求をされた瞬間に、申請書を出さざるを得なくなります。
どうしても口頭で伝えるのが怖い、あるいはパニックになりそうだという場合は、この記事の画面やメモを見せるだけでも構いません。「生活保護申請」という法的権利の行使は、皆さんが思っている以上に強力な効力を持っています。
「役所に行けない」人はどうすればいいのか
中には病気や障害、あるいは精神的な理由で「役所の建物に入ることすらできない」「窓口まで行く交通費すらない」という方もいるでしょう。 その場合でも、申請を諦める必要はありません。「電話」や「郵送」でも申請は可能です。
生活保護手帳の問答集には、申請書を作成できない特別の事情がある場合について触れられており、本人の意思確認ができれば、職員が自宅等に出向いて手続きを行う(アウトリーチ)ことも想定されています。
電話で福祉事務所に連絡し、こう伝えてください。
「〇〇に住んでいて、生活に困っています。生活保護を申請したいのですが、体調が悪くて(または金銭的理由で)役所に行けません。自宅まで申請受付に来てください」
あるいは、便箋やルーズリーフ、チラシの裏でも構いません。「生活保護申請書」と書き、住所、氏名を記入し、押印(拇印でかまいません)をしたうえで、生活に困窮しているので保護を申請します」と書いて郵送してください。
郵便代さえ払えない場合は、最寄りの役所に持参して直接、ポスト(名称、設置場所等は役所によって異なります)に投函しても大丈夫です。
窓口で職員とやり取りするのが怖くて不安でできない方もいるかもしれません。ならば「口頭でのやりとりでうまく話せるか不安なので、ここにメールをもらえませんか?」とメッセージとメールアドレスを添えることも自由です。今は多くの役所がメール相談でも対応してくれます。
いずれにしても、書式が役所の指定のものかどうかを問わず、申請の意思が明確であれば、役所はこれを無視することはできず、調査を開始する義務が生じます。
本人がどうしても外出できず、電話一本で職員に自宅まで来てもらい、その場で申請手続きを完了させたケースは多々あります。「完璧な申請書を持って役所に行かなければならない」という思い込みが、この「電話一本」という選択肢を見えにくくさせているのかもしれません。
正当な権利を行使するのに「遠慮」も「準備」もいらない
確かに生活保護の現場では、冷たい対応をされることはあります。心ない言葉を投げかけられることもあるかもしれません。
しかし、日本の法律において、生活保護を申請する権利(申請権)は、何人たりとも侵害できない絶対的な権利です。過去の裁判例(岸和田稼働能力訴訟(大阪地裁平成25年(2013年)10月31日判決)など)でも、所持金がわずかで稼働能力の活用もままならない状況下にある人に対し、役所側は積極的に保護申請手続を援助すべき義務がある、と判示されています。
その権利を行使するのに、綺麗な書類も、プリンターも、高度な法律知識も必要ありません。必要なのは、あなたがその足で(あるいは電話でも、メモでも)役所にアクセスし、「助けてほしい」「申請します」と伝える勇気だけです。
もし、この記事を読んでいるあなたが、あるいはあなたの周りの誰かが、「申請書の書き方が分からないから」「書式をダウンロードするパソコンやプリンターがない」という理由で生活保護を躊躇しているなら、どうか伝えてあげてください。
「手ぶらでいい。ペン一本持たずに行っていい。『申請書をください』の一言だけで、行政は動かざるを得ないんだよ」と。
それが、最も賢く、最も強く、そして最も早く、生活を守る方法なのです。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)、社会保険労務士(ひとみ社労士事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に『わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)』(ペンコム)がある。

