◆純一郎は一回も主流派で戦ったことは無い
三代目が御存知、純一郎。外交官を目指しイギリス留学中だったが、父の急死で急遽帰国。しかし三か月の準備期間で、落選。朝は東京で福田赳夫の書生として政治の修業しつつ、昼から横須賀に帰って政治活動の浪人生活を約三年。ようやく最下位で当選した。純一郎氏、三世の世襲議員と目されていたが、地盤を自力で作り直して這い上がってきたのだ。
そして、当選一回から九回まで、一回も主流派で選挙を戦ったことは無い。下位当選で生き残りつつ、ようやく当選六回でトップ当選かと思いきや、八回目は新党ブーム。小選挙区制に移行してからも、反主流派。十回目にしてようやく総裁派閥で戦えるかと思いきや、森喜朗首相の「神の国解散」で大逆風。常に苦しい選挙しか経験していないのに、政見放送で消費税導入、増税を平気で主張する。
◆「本物のヤクザ」「永田町の変人」
ある政治家が畏敬を込めて「小泉(純一郎)は本物のヤクザ。ずっと福田側近で田中角栄からびた一文もらわず大臣にもなれなかったが、筋を通し続けた」と評していたが、その反骨ぶりからついたあだ名が「永田町の変人」。政治改革ブームの際も、中選挙区制維持で山崎拓・加藤紘一とYKKトリオを結成して、最大派閥の経世会に反旗を翻した。私は消費税増税にも中選挙区制維持にも反対だが、小泉純一郎の一歩も引かない戦いぶりには感嘆していた。ちなみに自分が総理の時は増税を迫る財務省を「私の内閣では増税はやらない」「なぜですか」「勘だ」と一蹴。郵政選挙では小選挙区制の特性を生かし大勝、政権を存続させた。
主義主張ははっきりしているが、現実の状況に応じて、採るべき方策を選択できる姿勢は、「動物的勘」と称賛された。小泉内閣は女系天皇を推進したが、当時の安倍晋三官房長官の説得で、ギリギリで引き返した。一瞬の切り替えに、安倍氏の方が「まさか政治家がここまで進めてきたことを一瞬で覆すとは」と驚きを周囲に語っていたほどだ。

