◆悲惨な票数で負けても政治生命を失わなかった
総裁になる前は、厚生大臣三回と郵政大臣の軽量ポストだけ。しかも、郵政大臣の時には辞表を叩きつけている問題児扱い。常に最大派閥の竹下派に挑み続け、一歩も引かなかったのが自慢。竹下派の橋本龍太郎、小渕恵三には二代続けて総裁選で挑み、悲惨な票数で負けているが、それでも政治生命を失わなかった。
顕著なのが橋本に挑んだ時の総裁選で、一騎打ちで電波ジャック。持論の郵政民営化を訴え続けた。他に憲法改正を訴え、ドサクサに紛れて「特定郵便局長十二万人にモノが言えなくて、創価学会六百万人の公明党に対峙できるのか」とか、凄いこと言ってた。自主憲法制定が持論で、かのハマコーこと浜田幸一代議士が、「ある日突然ウチらの勉強会にやってきて、英語で占領憲法の不可を滔々と説く奴がいた。それが小泉だ」と絶賛した筋金入り。
◆小泉進次郎は「銀のスプーンをくわえて生まれてきた男」
三度目の正直の総裁選では、「絶対に八月十五日に靖国神社に行く」と宣言、他の候補からできる訳がないと冷笑されたが、数々の抵抗を乗り越え、本当に行った。小泉内閣では郵政民営化と道路公団の改革で抵抗勢力と戦ったとの印象があるが、旧田中・竹下派とその背後にいる中国に喧嘩を売ったのだ。だから、しばしば「殺されたって良い」と口走った。
本当に命懸けで平壌に乗り込み、金正日に拉致を認めて謝罪させ、被害者を取り返してきた。
このように、小泉家は戦う一家なのである。
ところが、進次郎氏の経歴を見ても、戦っている姿が見えないのである。こういう人を昔は「銀のスプーンをくわえて生まれてきた男」と呼んだものだ。
進次郎氏、討論を避け、守りに徹して逃げ切るつもりのようだが、それで国際社会で戦っていけるのか。
―[言論ストロングスタイル]―
【倉山 満】
憲政史研究家 1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『噓だらけの日本中世史』(扶桑社新書)が発売後即重版に

