虚弱エッセイ「大事な人を理解するために読んでくれることも」
SNSで話題になり、共感の声などが寄せられることについては、「『自分を責めずに済むようになった』という声を聞くと、書いてよかったなと思います」と明かす。
読者のなかには当事者だけではなく、家族が虚弱の人も見られ、終電さんは「大事な人を理解するために読んでくれることも割とあって」「そういう素敵なことに自分の本が使われることは、すごく嬉しい」と喜んだ。
自身としても、周囲から虚弱体質について理解を得られやすくなった実感があるという。例えば友人から「今日暇?」といった連絡が来たとき、終電さんは「予定があるかないかでいえばないんだけど、その日は休みたいという日」の説明に困っていた。
「体力がない」と説明しても「まだ若いじゃん」と言われ、もう少し踏み込んで「体力がなくて1日数時間しか働けない」「すぐに体調が悪くなるし膝も痛い」などと話すと、相手は笑うことができず気まずい雰囲気になってしまったこともしばしばだった。
それが、エッセイで発信してからは「虚弱なので」の一言で伝わるようになったという。「これまで身近な人にも誰にも理解してもらえなかったことが、やっと理解してもらえるようになった」と話した。
「虚弱」から取りこぼされてしまう人への懸念も
一方で、虚弱体質が広く知られることによるデメリットについては、次のように話した。
「『この程度では虚弱じゃない』『ここからが虚弱だ』というふうに線引きを巡って争いが生まれたり、虚弱の定義とか範囲のようなものがなんとなく決まっていってしまった先に、『虚弱』からも取りこぼされてしまう人が出てきたりする」
そして、虚弱から取りこぼされてしまった人にとっては、「虚弱が広まる前よりも、社会に居場所がないような苦しさを味わうことになってしまう」ケースも出てくるのではないかと懸念する。
実際にSNSで投稿されるエッセイの感想の中には、「ジョギングができているなら虚弱じゃないじゃん」「私は虚弱だと思っていたけど、一応フルタイムで働けているから全然虚弱じゃなかった」といった声もあったという。
また終電さんは、虚弱体質への向き合い方についても、「努力しないのは怠惰」といった風潮になることを危惧している。