「死にたいなら、死んでもいいよ」と言った娘

ある日、大きな転機がやってきました。「ママ、車いすに乗って街に行こう。買い物や食事をしよう」と、娘が提案をしてくれたんです。娘と神戸の繁華街へ出かけ、少しだけワクワクしました。しかし、そんな気持ちはあっという間に消えました。入りたいお店は目の前にあるのに、段差や階段に阻まれて入ることができません。街には、車いすにとってのバリアがこんなに多くあることを実感しました。
混雑している道では、人にぶつかりそうになります。「すいません、ごめんなさい」と謝ってばかり。こみ上げる情けない感情を押し殺すことができなくなりました。ようやく車いすで入れるレストランを見つけ、席につくと同時に娘の前で泣き崩れ、ついに本音を打ち明けてしまいました。
「こんな状態で生きたくない。死にたい」
こぼした言葉への罪悪感から、私は娘の顔を見ることができませんでした。娘はきっと泣いて「ママ、死なないで」と言うだろうと思いました。しかし、娘は泣きもせず私に言いました。
「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」それを聞いて、私は耳を疑いました。
「死んだほうが楽なくらい苦しいことはわかってる。でも大丈夫。ママは2億パーセント大丈夫」と娘は続けました。
「2億パーセント大丈夫」。もちろん、この言葉に明確な根拠はありません。しかし、死んでもいいと許されたことで、不思議なことに「死にたくない」という気持ちが湧き上がり、娘を信じて生きようと思いました。絶望していた私の全てがリセットされ、生き方や考え方が大きく変わりました。
歩けない私の第一歩

それから私は「歩けなくてもできること」を考え始めました。また誰かのために、何かをしたくなりました。たどり着いたのは、私と同じように落ち込んでいる人の心を救う心理カウンセラーになることでした。歩けなくなった私が初めて前向きになれた瞬間です。
退院後には、心理セラピストとしての活動をはじめ、多くのクライアントさんと向き合いました。かつては、人に手伝ってもらうことでしか生きることができなかった私が、再び誰かから「ありがとう」と言ってもらえるようになったのです。
「ありがとう」
それは私が心の奥底で、ずっと探し求めていた言葉でした。そして歩けない私自身の可能性を広げようと心に決め、また新たな一歩を踏み出しました。
※この記事は2018年7月の記事を再編集して掲載しています。

