身体のアラートを無視し続けた働き方の代償
私は、最初から狙ってこの生き方を手に入れたわけではありません。ただ、心地よくないもの、イヤだと感じるものをとにかく手放していったら、“おんな・ひとり・フリーランス”という生き方にたどり着いていました。
ここで少しだけ、私の生い立ちについてお話しさせてください。心配性の母と頑固でちょっと怖い父のもと、私は三姉妹の末っ子として生まれました。上の姉たちが自由奔放に家を出て行ってしまったため、自ずと“これ以上、家族に迷惑をかけちゃいけない役割”を担わされていました。
さらに、父が脱サラしてからというもの、わが家の家計は一気にサバイバルモードに突入。「お金は自分で稼がなきゃ」という意識が身体に染み込みすぎて、もはや骨と同化していたと思います。冗談ではなく、物心がついた頃には「経済的不安=死」レベルの恐怖心が出来上がっていました。
そんな環境で培われた価値観を引っさげて、東京へ進学。そして就職。おかしいなと思うことにふたをしてがむしゃらに突っ走る毎日の中で、気がつけば、“感じる力”そのものが鈍っていきました。何をしている時が楽しいか、どうしたら心躍るのか。そんなことすら、わからなくなっていったのです。
その後、うつ病とパニック障害と診断され、しばらく体調不良に苦しむことになりました。身体が発していたサインを無視し続けた結果として、身体が強制的にシャットダウンをしたのだと思います。
会社が合わないのは私のせい?自分を責めた時期
持ち前の人当たりのよさと察しのよさが幸いして、どこに行ってもルールを覚えることには慣れていきました。ただ、同時に心もじわじわとすり減らしていたのです。
会社がイヤになり、もしかしたら、自分は社会不適合者なんじゃないかと、自分を責めたこともありました。
今、振り返って思うのは、自分に合わないというのは誰かが間違っているという話ではなく、たまたま、その場所の正義と自分の正義がズレているだけだということ。
結局、私は組織から押し出されるようにして、フリーランスになりました。ぜんぜん、カッコいい独立ではありませんでした。
フリーランスの道が合っているかどうかなんて、確証はゼロです。合わなかったら、別の道を模索しなければと思っていました。

