川島氏は、がんを経験するなど人生の荒波を経て、間借りという形で寿司店を始動させた。
転身への思いと苦労、紆余曲折の人生を川島氏が回顧する。

◆寿司店なら「芸人のスキル」が生きる
ーー恵比寿で「鮨 川しま」を始められましたが、なぜ寿司店を?川島章良:理由はいくつかあります。かつて父が京都の祇園で「津乃鶴」という懐石料理店をやっていて。父が退いたあとは、父の兄弟が引き継いでいたんですが、残念ながら12〜3年前に閉店してしまいました。いつか「津乃鶴」の屋号を復活させるのが悲願だったんです。
ーーそのための大きな一歩ですね。お父様の反応はいかがでしたか?
川島章良:号泣して喜んでくれました。
ーー懐石料理ではなく、寿司店にしたのはなぜですか?
川島章良:職人とお客さんが、カウンター越しでコミュニケーションをとる業態だからです。芸人として20年やってきて鍛えられた「空気を読んで話す能力」が生きると思いました。
◆5か月の修行でイロハを学ぶ

川島章良:父の影響で、料理を始めたのは小学2年のころ。アルバイトですが、イタリアンのお店で働いたこともあります。2018年からだしパックのEC販売店「津乃鶴だし」を営んでいて、だしの研究はかなりやってきました。お寿司屋さんのメニューにも、だしはかなり大事な要素になるので繋がっています。
ーー寿司は技術が必要ですよね。修行はどのくらいされたんですか?
川島章良:間借りをさせていただいているお寿司屋さんの大将について約5か月教わりました。子どものころから料理もしていましたし、だしパックの会社のレシピ研究もやってきたので、ゼロからという感じではありませんでしたね。経験もあったので、調理や調味については覚えが早かったみたいで、2回目でもう「握れているね」と言ってもらえました。ただ、シャリの硬さや形を、満足のいくものにするのが大変でした。ネタを置いた瞬間にフワッと沈む感覚を目指したものの、なかなかできなくて。
ーー壁を乗り越えるため、何をされました?
川島章良:日々、1匹の鯛をさばいて、それを80貫くらい握っていました。また、お客様相手だと、スピードも必要になるので、3時間で350貫を握る練習などもしましたね。オープン前には大将から「お客さんに出しても問題ないレベル」というお墨付きをいだだけました。

