もし他に好きな人ができたらどうする?

若い頃に話し合ったことがある。もし他に好きな人ができたら、そしてその人と人生を共にしたいと思うほど好きなら、正直に伝えて離婚しようと。騙し合いはやめようと。自分たちの信頼関係を考えればあり得ない。ルイコさんはその考えにすがりついた。
「でもある日、ふと見たら夫が新しいネクタイをしているんです。うちはお互いのクローゼットなんてほとんど見ないけど、新しいものを身につけていればわかりますよ。あれ、どうしたのそれと言ったら、『あ、ああ、買ったんだ』と言いつつ『派手かな』と私の目を覗き込んだ。『派手ではないけど、今までとは違う趣味だなと思って』と思わず本音を洩らしたら、リュウジがギクッとしたのが伝わってきたんです。言わなければよかったと思ったけど、もう遅かった」
どうしたらいいのだろう。何をしていても頭の隅に「夫の不倫?」という真っ黒な塊がチラチラと見え隠れする。夫に浮気をされた妻なのだという自覚がわいてくる。かわいそうだとは思えなかった。それより、まだ「そんなはずはない」という気持ちが強かった。
「認めたくなかったんですよ、夫が私から他の女性に心を移すことがあるなんて。私は見てわかる通り、女っぽいタイプじゃありません。スカートなんて何十年もはいてないし、ひらひらした服は昔から苦手だった。
でも夫はそんな私を愛してくれたはず。女は見かけじゃない、話していて楽しいと思えるのはルイコだけだと、いつも言ってくれていた。そんな夫が50歳を過ぎていきなり他の女に心奪われるなんてことはあり得ないと思ってました」
忙しくても、どこにいても心が苦しい

真実を知るべきなのか、知らん顔するべきなのか。コロナ禍以降、ルイコさんの出社は週に3回か4回になっていたが、彼女は忙しくしていたほうがいいと感じ、5日間出社をすることもあった。忙しくしていれば思い悩む時間はないと思ったのだが、そうではなかった。どこにいても心が苦しい。
「娘にまで『何かあったの?』と聞かれました。何でもないと言ったけど、お母さん、更年期じゃないの?と言われて。そうかもしれない、そうだ、調子が悪いのは更年期のせいにしようと思いました」
夫は家庭に戻れば、以前と特に変わりはなかった。週末も以前と変わらない頻度で、「映画でも観ようよ」と言い出す。あるときルイコさんは思い切って、「失楽園」を観ようと言った。結婚前に一緒に観た映画だ。既婚者同士の抜き差しならぬ関係の果て、二人は死を選ぶ。あの頃は「こんな関係もあるんだね」「でも死ぬ理由はないよね」と言い合った。若かったのだとルイコさんは思った。
「リュウジは『え、あの映画観るの』と渋っていましたが、私が見始めると一緒にソファに座りました。でもいつの間にか彼はワイングラスを持ったまま寝てましたね。観ていられなくて寝ちゃったのか、あるいは自分の恋と比べているうちに疲れてしまったのか。なんだか私との時間を大事にしてくれなくなっているのかなと、ちょっと寂しかったですね」
絶対的に信じていた分、些細なところで「夫にとって、私と、この家庭は重要なものではなくなっているのだろうか」というネガティブな感情が湧いてくるようになった。なんとかそれに耐えながら、ルイコさんは生活を続けた。

